2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…
いつも読んでいるブログで自分の記事が思いがけず引き合いに出されていたからちょっと驚いた。 シム宇宙の内側にて:【追記あり】 『2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ』 のいやらしさのコメント欄でfw0さん(「シム宇宙の内側にて」ブログ主)がこのように言っておられる。・あらま さん ほんと、松永 さんのエントリは、次のエントリ辺りをストレートでない方向に焼きなおしただけでオリジナリティもなく、困ったものですね。 玄倉川の岸辺:素朴で正義感の強い人たち http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/fd11ac777d2ab60b2bbe2122fa26514d 驚いたのは、松永氏の記事を読んで(正確には「眺めて」)自分の書いたことに似ているとはまったく感じなかったから。 2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ [絵文録ことのは]2007/01/13 ドメイン差し押さえ
今夜 始まりの朝を思い出そう yeah みにくい 思いが支配してしまう前に あなたと見る天井なら プラネタリウムみたいに 見えた そう その心 今 引き出して さて。 ほとんど誰も正直な表現を怠っているであろう現状において、ほとんど唯一 正直な告白を待ち望まれるというのは確かに馬鹿げた状況だろうとは思う。 殊に馬鹿げているのは、誰も彼もが自分の意志さえ示すつもりがないよう なのに、それでいて他人にはその内面深くに忍び入る筋道を晒せと言って いるところだ。内省を晒すべきだというそんな理屈に使われるのは決まって 社会のためとか被害者のためだとか、あまつさえ書き手当人のためだとか いった代理の構図だ。代弁である。クソである。その代理の構図が隠して いるものはその代弁者当人の意志である。それは表現として相当下品だ。 それが下品であるのは、他人に求める正直さを自分には欠片も求めない からである。他人
WBC中継が雨でいったん中断したため、暇つぶしにアレフブロガー松永氏関連のブログを読んでみたところ、噴飯の事実が発覚したのでちょっと書いてみたいと思います。 まずはフラッシュ3/21の第905号の野田敬生氏が書かれた記事を引用すると、 その席(筆者注:民主党懇談会)で、前原代表は「ネット対策はきわめて重要だ。我々のアピールの大事なツールである」などと強調。懇談会の窓口になった大塚耕平・参議院議員も「ブロガー対策という面でいうと、うちが完全に(自民党に比べて)後れを取ったということで、そういうご指摘をいただければ大変ありがたい」などと発言している。 一方、M氏はブログ上で、前原代表らに「ネットに強い政党であれば即座にカウンター情報を流すことも可能」「ブログの導入はいわば『貧者のための兵器』」などと“指南”している。当日は、前原代表とM氏をはじめとする参加者は親子丼を食べながらなごやかに“交流
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
去年末から話題のサイトといえば「きっこの日記」をおいて他にはないだろう。そう、MAXファンのヘアメークの日記でありながら、「構造計算偽造」問題に絡んで「スクープ」ともいえるネタを公開したことでネット内の関心を集め、ジャーナリストにも「こいつ何者だ?」と言わせ、さらには民主党議員まで引っ張り出してきたっていうスゴいサイトだ。中には「これはスクープを公開するために匿名の架空の日記で出しておいて、それをマッチポンプ的に報道するための偽装サイト。きっこというのは複数の可能性もある」なんていう陰謀論まで飛び出す始末。でも、おれのポリシーは「原典に当たれ」ってのはご存じの方も多いだろう。きっこ=横山希美子さんのことを知りたかったら、きっこの日記を全部読むことからはじめなきゃ、と思って開いてみたら、実に5年分もあって、しかもここ2年くらいは毎日5000字くらいの文字量があるというわけで、本当に大変な作業
●ことのは問題に関する、いくつかのまとめサイト(こことかここ)が充実しつつあるので、その観点から経緯を時系列整理するのは他にまかせる。またこの4ケ月私が繰り返してきた同じ理屈を繰り返すのも疲れたので、ここでは、それぞれの人物が説明を求められていること、まだ説明を終えていない(と思われている)ことのみに絞って個人別に書き留めておこうと思う。 ●これは備忘録である。書きとどめておかないと忘れてしまうので、自分のためにも作成しておこうと思ったのであり、それぞれの個人にさらに回答のプレッシャーをかけようというものではない。(但し継続的注意を喚起し、説明を推奨する目的は否まない) ●当然ながら、全ては私=BigBangというフィルターを通して整理したものである上、「ことのは問題」は広大な領域に及ぶ。漏れ、見落とし、追加すべき項目、削除すべき項目があったらコメント欄等でで指摘してもらいたい。 ●一度に
という事は大事だろうか。 これはある人のブログを読んでいて、その捉え方をまだいまいち掴みきれず感じることなのだけれど、ここで問題にするのはもう少し別の事になる。 「自分にとってどうあるか」。物事がすべて己に意味のある作用をするものでなければならないのか。 その捉え方は常人から見れば、世界に対する子供じみた理解であり、執着でもある。 人はある時点まで来れば、自分の存在が重要などでない事を悟る。そこまで行き着かなければ生きた事にもならないだろうが、その集団は無意識に「その地点」への果てしない距離を作り出す軸を持っていたかとも思う。 「自分が意味ある人間である」としたい意識は、早々完全に捨てきれるものではないが、無自覚に、強く持っていた場合災いを呼ぶ。今回、この傾向はいろいろな所で見えていた。オウムが道を間違えた事にこの意識が働いていたのかは知らないが、今オウムから意識が抜けつつある人間を見てい
2006年12月20日00:05 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 書評 - ネットvs.リアルの衝突 [2006.12.09掲載;発売開始12.20まで更新] 献本キター ネットvs.リアルの衝突 誰がウェブ2.0を制するか 佐々木俊尚 ちなみに本entry現在、Amazonのページはまだ存在せずというのは前回のグーグル Google - 既存のビジネスを破壊すると同じ。とりあえず文春新書のページもリンクしておきますが、もう少しネットの方も見て欲しい>文春新書編集部 2006.12.13:本日Amazonへの掲載を確認 2006.12.15:早くも在庫切れ。またでつか 2006.12.16:在庫復活した模様 本書、「ネットvs.リアルの衝突-誰がウェブ2.0を制するか」は、今やネットとリアルの境界面における取材では第一人者の感すらある佐々木俊尚の、文春新書二作目。しかし本書は断
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