2008年4月30日のブックマーク (1件)

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    生死を超越するとは、己の心に勝つ、苦しい修行のことであり、これを乗り越えた時に、達人への道が開ける。 則ち達人とは、敵の心気わずかの間断も気を通じて、その隙をすかさず打って勝つもの也。 更に達人に至ると、隙を作らず、敵の刃に触れないで、「斬る伏せる」妙技を見せる。 (『兵法心気体覚書』より) 西郷派大東流の「剣」は竹刀競技の剣道や、型の居合道の剣ではない。わが流の剣は「剱(けん)の道」の剣である。また、「巌(いわお)の身」を動かす剣である。 武術修行は、精神修行を積み重ねた結果、この時機、会得したものを「奥儀」と呼んで、昔から重視してきた。 この奥儀は、修行を積まない者に伝えても、理解できないから、古人は免許を与える際に奥儀を口伝として伝えた。 しかし徳川中期頃になって、旦那芸が流行し、実力のない者に免許を与えたり、印可が濫発(らんぱつ)され、理解できないまま術名だけが今日に残されている型

    kerofin
    kerofin 2008/04/30
    白扇,手裏剣,小太刀,兜割など