かつて最強と呼ばれる者がいた。 「十年早く生まれていれば――いや、師が十年遅く生まれていればよかったのだ。ならば俺は師のもとで学ばず、師と対峙できたのに…………。」 山本陸 一章 名護夕間 1950年(昭和25年)GHQ占領下の日本 (一) そこは、かつて武道場と呼ばれいてた。 周辺は空襲を受け両隣の家屋は焼失したが、武道を愛する者達の命懸けの消火活動により道場は焼失をまぬがれ、終戦を迎えた。 そこでは現在、フェンシングに似た軽量の面、胴、シャツ、パンツ、運動靴を装用し、竹を八つに細く割り革袋で包んだ袋竹刀で、打ち合いポイントを競うスポーツ。 〝撓《しない》競技〟が行われている。 この場所を再び、武道場と呼ぶために、名護夕間は戦う。 年齢33歳。 丸顔であったため、年齢よりやや若く見える。 身長174センチ。 現在では、平均的な身長だが、当時ではやや高い方の部類に入る。出身地の沖縄では、
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