諸兄正月からお忙しいと見え、どなたもボケかけ老人にはかっまて下さらぬ。そりゃこっちはヒマですよ。待ってられないので押し付け投稿その3に進む。 2軸単車は先回デッキ改造後ばかりだったので、今回はオープンデッキが残る2枚をご覧いただく。50年前の手札プリントを6枚並べて一挙にスキャン。画面をクリックすると拡大する。 鋼体のみの2両は、確か(記憶が薄れたというより、電車なんぞどうでもよかったから気にもしていなかった)帝国車両だったかで製造。 キャンセルされかけた?かで、メーカーがあわてて仏生山に搬入したと聞いたような気がするが、確信はない。修正や補足は乙訓老人の責務である。 この鋼体も、確か何年かこのまま放置され(法的所有権等に問題があったのか?)、最終電車にはなった。 しかし幅員が複線様区間での線路中心間隔と抵触し、線路を若干修正し(修正したことにして?)やっと動き出したような話があった(よう