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保守に関するkeya1984のブックマーク (9)

  • 404 Blog Not Found:書評 - とてつもない日本

    2007年06月16日00:30 カテゴリ書評/画評/品評Taxpayer 書評 - とてつもない日 もしかして、この人普通にすごい? とてつもない日 麻生太郎 書「とてつもない日」は、日国現外務大臣の麻生太郎が、日人について書いた。そして彼は、日人について書く事が日について書く事だと気で信じている。少なくとも私をそう思い込ませることに成功している。 「日について書くなら日人について書くのと同義に決まっているじゃないか」と思われるかも知れないが、日論に限らず各国論に関してこれは必ずしも自明ではない。なぜなら、その国の形を決めているのが、必ずしも国民であるとは限らないからだ。また、国とは国民のみならず地域を指し示す言葉でもある。だから地勢と偉人を書けば、その国のことを書いたという体裁は繕えるのである。 「美しい国へ」が、まさにそういうであった。 「美しい国へ」がP

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…

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  • リベラルの攻撃性 - 国家鮟鱇

    ⇒■相対主義と気遣い −ARIAから見るリベラルの形成−(ロリコンファル) 正直アニメの話は全くわからないんだけど、 なんでリベラルを名乗る人達が常にこうむやみやたらに攻撃的なことが多いのか正直よく分からない というのは、俺も前々から持っている疑問。 典型的なのが先日のNHKでの討論番組での、話し合いが大切といいながら、相手の話を聞かない。話の邪魔をする人(リベラルと呼べるのかわからないけど)。外部から見れば奇妙な行動に見えるけど、これを単に批判してもしょうがない。彼、彼女の中ではそれで矛盾していないのだろう。なぜそうなるのかを考えるべき。 で、結論から言えば、やはりそこには「絶対的」なものがあって、そこから外れるものは認めない(というか見えない)のだろうと思う。 彼らの言う「話し合い」とは、彼らの許容範囲内での「話し合い」であって、それ以外のものは「意見」ではないのであろう。「意見ではな

    リベラルの攻撃性 - 国家鮟鱇
  • 日本は社会主義国? - 国家鮟鱇

    ⇒「日は社会主義国」でどこが悪い(切込隊長BLOG) この疑問については、俺は前に書いている。 ⇒ウヨクはシミンのなれの果てなのか? 戦後日は「保守」政党が政権を握っていた。「保守」が革新である社会主義的手法を取り入れたというべきである。社会主義のイデオロギーを受け入れたわけではない。道具としての手法を取り入れただけだ。「保守」は保守のために役立つのなら、何でも受け入れる。役に立たなくなったと思えば未練はない。別の道具を手に入れるだけだ。 「革新」はそうはいかない。絶対的な理念があり、そこから具体的な方法が考え出される。従って、それがうまくいかないからといって軽々と変更することはできない。下手をすれば彼らの信奉するイデオロギーが崩壊してしまうからだ。そこで悪いのはイデオロギーではなく、それを運用する人間に問題があるのだということになり、粛清なんてことが行なわれたりすることもある。今でも

    日本は社会主義国? - 国家鮟鱇
  • 西部邁という保守主義者 - 国家鮟鱇

    俺は西部氏の著書を一冊も読んだことがない。ただし、新聞・雑誌に寄稿した記事でネットで読めるものがあるので、そういうのはいくつか読んだことがある。俺は一応、自称保守主義者だが、日の著名保守系論客でこの人の考えとほぼ同じだと考える人というのが存在しない。そういうことを昔、某掲示板に書いたら、「それはお前が保守ではないからだ」とレスされたことがあるが、じゃあ俺は一体何者なんだと考えるに、革新では決してないように思うので、やっぱり自称ではあるが保守だと思っている。そんな中で時たま西部氏の主張を聞いて同意することがある。とはいえ大いに違和感がある場合も多い。(ちなみに日に俺が考える保守主義者がほとんど存在しないと思っているわけではない。むしろ実は市井の中にいっぱいいると思っている。だが論客となると誰もが思い浮かべる保守の人を見ると、自分とは別種の人達だと感じてしまうのである)。 03/19付の

    西部邁という保守主義者 - 国家鮟鱇
    keya1984
    keya1984 2007/03/23
    市井にこそ保守的な人はいるというのに同感。主義者としての保守論客は自己の政論や思想に拘泥して生活から遊離しがちだからかなぁ。プロ保守?
  • 「リベラル派や一般市民がバッシングを黙認している」 - kmizusawaの日記

    ■「リベラル派や一般市民がバッシングを黙認している」 http://watashinim.exblog.jp/4517393/ 非常に耳の痛いご意見である。そういうところも確かにあるっつーか、いちいち反論・批判するのも疲れる→勝手に言わせとく→はびこる、ってのはたしかにあると思う。 ただこういった「自分にとって問題があると思われる勢力がはびこってるのは黙ってる(黙認している)人が多いせい」理論には違和感を覚えるのも正直なところ。世の中常に多いのは何も言わない人たちである。何も言わない人が多いのは同じなのに、特定の言動をとる一派が力を持ったり持たなかったりする。ジェンフリバッシングにしても、以前はバッシング側に対して非難・反論する人が多かったかといえば…あんまり変わってないんじゃないかなあ。黙ってる人がどうかと言うより、匿名で発言できる場など以前より「ヤバイこと」が言いやすいような環境ができ

    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    自称リベラルの指導者気取り(および「ついてこない人々への憤り」)への批判。
  • どこまで要求していいか - kmizusawaの日記

    ■どこまで要求していいか http://hetare.seesaa.net/article/31279787.html 困った問題だと思う。たしかに健常者なら夜中に腹が減った場合米といで飯炊いてそれをうっていうのはよしあしは別にして自由にできることだし、そういう自由は障碍者にも保障されるべきだというのが原理原則ではあると思う。また日常の介護や援助に対して常に感謝を表すべきだとも私は思っていない。四六時中他人に感謝し続けていなければならない人生なんて他人に要求できない。健常者ならTPOや時間配分や懐具合を考えつつ自分で欲求を満たせることに対する援助に対しては堂々としていていいと思うし、援助者もそれについて自分が援助している人に感謝を求めてはいけないのではと思っている。援助者へのねぎらいは援助される当人ではなく、他の人がやるべきだ。ハードな介護に対しては報酬を高くするっていうのもひとつの方法

    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    身障者に「迷惑かけてまで生きていきたくない」と思わせてしまうのは逆方向(立岩真也『弱くある自由へ』関連)だが、介助者・支援者も人間だからね…という大事な話。
  • お前が言うなと言われそうだが - kmizusawaの日記

    「恵まれた」人間は、社会批判をする資格がないのだろうか - Sound and Fury.::メルの棚。この問題、私も考えるなあ… 自分にはこれこれの社会問題について語る資格があるのかとか、これについて語ってる自分はいったいなんなんだとか。何ゆえ喪女で非正規有期雇用労働者の私が子育て支援や産みたくても産めない女や正社員サラリーマンのことを考えなければならないのか? …ってこれは問題が違うか。喪女と幼子を抱えた母親とどっちが社会的に「恵まれてない」んだろう…などと考えてもしょうがない。そんなこと較べる自体がばかばかしい話だ。どっちもいろいろ困ることや嫌なことがあるし、いいこともある(と思う)。語る資格とかって基的にはあほらしいと思う。特に他人に言う場合。(とか言いつつ私も言ってることあるな…orz)ただ経済的状態の話になってくると、たしかに金持ちと貧乏人はいる。あと学歴のある人とない人だ

    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    「架空の代弁」とか「恵まれ者が何を言うか」あたりと、ノーブレス・オブリッジあたりの意識の持ちようの問題。
  • 「自由」に痛めつけられた人間は「自由」のない状況にちらっと憧れる(こともある) - kmizusawaの日記

    二人組みになる必要があるなら、適当に順番で切ってけばいい。http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20070315/1173947073そうそう、高校がこれだった。これで、二人組やグループ分けをするときにあぶれるわずらわしさから解放されて、その点に関してだけはたすかった。「学校というソーシャルな場所でなんで人を選ぶわけ?」 たしかにそうだ。だが、当時は、教員が一方的に決めるのは強権的抑圧的なやり方であり、生徒に自由に決めさせるのが「いいこと」という風にたいていの人は考えていた。つうか今もそうか。その高校の教員たちにしても別に学校がソーシャルな場だからということで機械的に割り振っていたわけじゃなくて、生徒に自由にさせるなどけしからんという発想だったと思う。万事そういう校風だったので。校内誌を作ってる人たちがなんだったか(別に政治的でもなんでもない他愛ない内容だったと思う

    keya1984
    keya1984 2007/03/17
    「規律規範無き処に自由は生じず、不羈放任あるのみにては不自由なり」という感じか。→kumizusawaさんは左巻きをほどくとほんとに保守だね。バークや福田恆存とか似合いそう。
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