ブックマーク / higanzakura109.hatenablog.com (83)

  • イカさん焼いてワタの溶いたん掛けたん - Fuji to Higanzakura

    鮮度のいいお魚は手に入らないところに住んでいたとき、どこかのサイトで見て身悶えたのだった、焼きイカのワタがけ。すっかり忘れていたのだけど、お魚屋さんにてふと思い出し。 苦手なことは親切な魚屋さんに頼んでしまう。げそと胴を分けてもらって、嘴やら目やら背骨みたいなのも外してもらい、ワタはそのままちょうだいね、ありがとー魚屋さん。 あとは適当記憶でつきすすむ。 イカさんのゲソと胴はグリルで焼く。周りは焼けて中は少し生しいくらいの方が良さそう。ワタを鍋にいれ焼酎を入れキッチン鋏の先を入れて細かく切る。文旦皮の塩麹漬け(臭い消しなので自分で納得するものならなんでも。なくても多分)、練り芥子も入れて火にかけ混ぜてとろっとしてきたらお醤油。焼いたイカさんを適当に切って、ワタのタレをかける。あとはネギとか千切り酢漬けショウガとか。 肴度数たかーい。 お皿に残ったワタのタレ。こっそりご飯入れねばなるまい。

    イカさん焼いてワタの溶いたん掛けたん - Fuji to Higanzakura
    keystoneforest
    keystoneforest 2017/07/08
    ワタをタレにするんですね。ぜひやってみます。ありがとうございます。
  • 腹巻きと主体 - Fuji to Higanzakura

    よく訪れているブログ様で、プーランクのピアノコンチェルトについてを、少年の朝の腹巻き問題になぞらえて書かれている記事が楽しかった。 http://blog.livedoor.jp/lasalledeconcert/archives/52380513.html 私はHiganzakura視点記事では、心理の仕事をする上では重要とされるような「主体」という概念を、自分は扱いかねていることを時々述べているけれど、それはおそらく、この腹巻き問題のようなことなのだ。 腹巻きは可か不可かの問いかけも、しょせん腹巻きのある世界でのことで、腹巻きのない世界のことを示しはしない。 同様に、「主体」概念への疑問は、「主体」のあり方や定義の違いをうんぬんしようとも、しょせん「主体」概念がある世界でのことなのだ。 「個人」や「自身」への尊重はありつつも、別段主体概念は、それがあることを前提にもせずそこはスルーにし

    腹巻きと主体 - Fuji to Higanzakura
  • サメさんのしんぞう le coeur du requin ルクールデュルカン - Fuji to Higanzakura

    ピエール•エルメ氏の代表作ケーキのイスファハン。バラとライチの香りのフランボワーズマカロンケーキ。でも私が初めていただいた当時は、そのケーキの名前は、le coeur d'Ispahan (ルクールディスファハン)だった。coeur は英語のheartにあたるから、心とか心臓。 トルコの後宮の中で儚く散った薄幸の美姫、そんな詩情(といえば聞こえがいいがそんな妄想)が口の中で勝手に広がったことに驚いたが、そんな自律的妄想体験がお菓子とはいえべ物とくっついて味覚と香りから立ち上がる生生しさ、いただいて消費していることそのこと自体からも来る、気がついたら否応なく参加型にされていた、紋きり型とはいえその妄想物語の悲劇イメージの循環は、心とかハートとかいう抽象では足らぬ。私がべたものの名は、イスファハンの心臓、です。 で、日は、サメさんのしんぞう。お魚屋さんが、日のお刺身イチオシって言うんだ

    サメさんのしんぞう le coeur du requin ルクールデュルカン - Fuji to Higanzakura
    keystoneforest
    keystoneforest 2017/05/14
    サメの心臓ですか。サメ肉(?)をそのまま食べること自体驚きです。魚屋さんに行けば売ってるんですか? スーパーには置いてないですよね。