2018年7月23日のブックマーク (2件)

  • 「勝てばドイツ人? 負ければ移民だから?」エジルが怒りの告発、そして代表引退を表明(SOCCER DIGEST Web) - Yahoo!ニュース

    ドイツ代表のMFメスト・エジルが、ついに重い口を開いた。アーセナルのシンガポール遠征を前に、自身のSNSで3部構成の一大声明を発表したのだ。 まず最初に題したのは「3の1:エルドアン大統領とのミーティングについて」。今年5月に物議を醸した事件について、その見解を明らかにしたのである。 ワールドカップ開幕前の5月15日だった。エジルは同じドイツ代表のMFイルカイ・ギュンドアン(マンチェスター・シティ)、トルコ代表FWセンク・トスン(エバートン)とともに、ロンドンを訪問していたトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領とイベント会場で面会。3人はいずれもトルコ系移民のドイツ育ちである。 それぞれの所属クラブのユニホームをプレゼントするなど、会談は和気あいあいとしたムードで進み、最後に何点かの記念撮影を行なった。これがのちに大きな火種となるのだ。エルドアン大統領が所属する公正発展党(AKP

    「勝てばドイツ人? 負ければ移民だから?」エジルが怒りの告発、そして代表引退を表明(SOCCER DIGEST Web) - Yahoo!ニュース
    kgkaaz
    kgkaaz 2018/07/23
    国単位がくだらないと言うなら民族単位というのはもっとくだらない。 ルーツに捕らわれず自由に考え生きればいい
  • 東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    日米開戦前日の1941年12月7日夜、東条英機首相が政府高官に開戦について語った内容が、メモとして残っていることがわかった。東条はこの日昼、開戦当日の予定を昭和天皇に説明したことにも言及。戦争に反対していた天皇が開戦を決意し、軍が一致して行動する状況になったことで「すでに勝った」と発言するなど、太平洋戦争に突入する前夜に高揚する東条の胸中を初めて伝える貴重な史料だ。 メモは、当時の湯沢三千男内務次官(1963年死去)の遺品から見つかった。東条の言葉を便箋5枚に書き残したもので、「十六年十二月七日(日曜日) 午後十一時二十分」との日時も書かれている。 昭和天皇は主戦派の陸軍を抑えるため、41年10月、陸相の東条に組閣を命じ、外交交渉で戦争を回避する検討も求めた。だが米側の最終提案「ハル・ノート」が届き、交渉を断念。12月1日の御前会議で開戦を最終決定し、8日未明、米ハワイの真珠湾を攻撃した。

    東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
    kgkaaz
    kgkaaz 2018/07/23
    これ、今まで出て来なかったのは天皇の戦争責任議論に絡むからでは?