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2014年1月14日のブックマーク (2件)

  • 断舎離している人の怖さ

    最近断舎離の怖さに気づいた。気持ち悪さというか。 私はこんまりさんと似ていて学生時代に「捨てる技術」を読んでから、家族の中では比較的捨てる方だった。それでも、興味がある分野〜職業がそれなりにものが必要な分野だったので、物は増え、その度に数年に何度か減らして…を繰り返してきてた。 そして、捨てていくと出てくる大きな問題が同居人たちの「捨てない人」。私も例にももれず、捨てる人vs捨てない人のバトルになるのでネットで検索もしてみた。基は、自分の物以外は触らない、という決着が付いているけれど、同居人のもので住居が埋まってしまってる場合もあるし、そうはいっても少しは捨てない人に整理してもらうことは必要だよなぁと思ってた。 ーーーと言った感じで、私は「捨てる人」側です。 なのですが、気になってたのは、ネットで色んな人の意見を読んでると、捨てる人のことを「病気」扱いする人が結構多かった。捨てない人も病

    khwarizmi
    khwarizmi 2014/01/14
    有への執着と無への執着 / 「断捨離を断捨離」っておもしろ発言をしてた人を思いだした。
  • 大谷米太郎 - Wikipedia

    大谷 米太郎(おおたに よねたろう、1881年7月24日 - 1968年5月19日)は、日の実業家、稲川部屋所属の元大相撲力士。四股名は鷲尾嶽。太平洋戦争前は「鉄鋼王」と称された。戦後の一時期は菊池寛実、南俊二とともに「日の三大億万長者」と並び称された。ホテルニューオータニ創業者。 来歴・人物[編集] 富山県西礪波郡正得村(現・小矢部市)水落集落出身。 貧農の家庭に長男として生まれ、31歳になるまで一家を養うために農家の小作として使われる生活を送った。31歳の時、僅かな金(20銭)を親から借りて裸一貫で上京したが、保証人もいない単身田舎から出てきた男にまともな仕事は見つからず、日雇人夫となっていた。 やがて力自慢でならしていた米太郎に稲川部屋から声がかかり、大相撲力士となる。砺波山(後に改名して鷲尾嶽)の四股名で褌担ぎから幕下筆頭にまでなるものの、手の指に障害を負っていたことが原因で幕

    大谷米太郎 - Wikipedia
    khwarizmi
    khwarizmi 2014/01/14
    ホテルニューオータニの創業者の人生が興味深すぎる。