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自己に関するkidspongのブックマーク (3)

  • 吉野弘 3 生命は | 詩のある暮らし Blog

    生命(いのち)は 生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい 花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする 生命は その中に欠如を抱(いだ)き それを他者から満たしてもらうのだ 世界は多分 他者の総和 しかし 互いに 欠如を満たすなどとは 知りもせず 知らされもせず ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄 ときに うとましく思うことさえも許されている間柄 そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ? 花が咲いている すぐ近くまで 虻(あぶ)の姿をした他者が 光をまとって飛んできている 私も あるとき 誰かのための虻だったろう あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない 詩集『風が吹くと』1977年 作者によると、ある時、庭の芙蓉の花を見て詩想がわいたといいます。 ご存じのように、芙蓉の花はめしべ

    吉野弘 3 生命は | 詩のある暮らし Blog
  • 【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある | Dr林のこころと脳の相談室

    Q: 私は某大学の法学部に通う21歳の男子学生です。(質問とは、直接、関係はありませんが、触法精神障害者に興味があり、それについて卒業論文を書くため、日々、資料を集めております。) 質問に入る前に、長文になりますが、質問に関わってくることなので、少し、コンサータ の服用とそれによる私自身の感じたことを書かせていただきます。 私は、精神科にてADHDと診断され、コンサータ を服用して数年になります。コンサータ 服用当初は、コンサータ によって、感覚過敏から解放され、初めて、ゆっくりとを読むことができるようになり、感動のあまり泣いてしまいました。この感動はあまりにも激しく、「私は、もう完全に『脳』を支配した」という優越感(あるいは、副作用としての多幸感に過ぎないのかもしれませんが)を得ました。ところが、数ヶ月たち、このコンサータ 服用後の精神の変調が、私の悩みの種になってしまいました。 私は

  • 自己犠牲について

    http://anond.hatelabo.jp/20150520224717の追記として それでも、自己犠牲に先はないよ むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。 するとある日いたちに見附みつかってべられそうになったんですって。 さそりは一生けん命遁にげて遁げたけどとうとういたちに押おさえられそうになったわ、 そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、 もうどうしてもあがられないでさそりは溺おぼれはじめたのよ。 そのときさそりは斯う云ってお祈いのりしたというの、 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。 それでもとうとうこんなになってしまった。 ああなんにもあてにならない。 どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉く

    自己犠牲について
    kidspong
    kidspong 2015/05/22
    「他人の尊重とはつまり、自己の確立から始まるのではないのか」
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