BBQの帰り道、土手に夕陽が落ちているのが凄く綺麗だったから「こんな風景にはpertorikaの『変わらないもの』が合うよなあ」と言って自分のiPhoneからその曲を流して車内のBGMにした。 これだけ。 そんなにヤバいのか??? このとき車が同じだった女子二人はマジで俺の声聞くのも無理になったんだとさ。 真面目に答えてほしいんだけどそんなにヤバいことか???
![車中での俺が超絶ヤバすぎると同期たちの間で話題になってるらしい](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
今朝の台風で思い出したこと。 もう10年くらい前。当時僕は貧乏で築40-50年経ったボロアパートの2階でひとり暮らしをしていた。 ある日ちょうど今くらいの時期に当時住んでいた地域に台風が直撃するとニュースなどで大きく報じられたことがあった。その日、本当は当時付き合っていた彼女と出かける予定だったけど、帰りに台風で大荒れになったら困ると予定を変更。家飲みをすることにした。 彼女は僕の家に来る途中のスーパーでコロッケとか惣菜・お酒を買い込んで、僕はその間に家の大掃除。僕のアパートはボロで隣の部屋のテレビの音が聞こえるほど壁が薄かったから、彼女が来ることはほとんどなかった。いつもは彼女の家に行くことが多かったけど、なぜかその日はうちに来ることに。 夕方5時くらいに彼女が来たときは嵐の前の静けさなのか晴れ間さえあって「出かけられたね」なんて話していたものの、晩ご飯を食べ始める頃には風が強くなり、1
インターネットを誰もが利用するようになって、ブログやSNSや動画でいろんな人が情報発信するようになった。文章を、フレーズを、コンテンツを配信するようになった。それはそれで結構なことだと思う。 さて、二十年ほどインターネットに文章を書き続けていると、気づかされることがある。 それは、「その年の自分には書けても、5年後の自分には決して書けない文章がある」ということだ。 たとえば、私は2006年にこんなことをブログ記事に書いている。 これから式場の下見に行ってきますが - シロクマの屑籠 とはいえ結婚などという難儀な選択肢を選ぶことも、結局は漏れ出る諸執着に由来するわけで、その限りにおいて落胆や絶望の萌芽から逃げきれません。一方、僕は自分が凡庸な人間である、少なくとも凡庸な人間とそう変わらない行動遺伝学的特徴を持った雄であると推定しているので、凡庸な人生の諸先輩が創りあげてきた世間智から大きく外
北海道の親戚から壺を貰ったので今夜は壺焼きにしようと2軒隣の近所の人と担任の先生と向かいのアパートの人全員を家に呼んだ。壺の中に入る順番は恨みっこなしのくじ引きで決める事になり結果として向かいのアパートに住んでいる一人暮らしの女性が最初に壺に入る事になった。壺の中に入ると身長は20分の1に縮むのでこの人数では一杯になる事はない。体積はXかけるYかけるZだから20の3乗まで広くなってる事になるからだ。一番目の人が入り2分後準備OKの着信がなった。自分は2番目だ。入って外殻を確保したら次の人の携帯に1回コールする事になっている。壺の中は日本ではないが入口を通してギリギリ電波が入る。携帯の充電が十分に残っていることを確認し鼻をつまみ目を瞑り壺に飛び込んだ。プールで耳に水が入ったような感覚がしたあと激しく平衡感覚が失われ世界がグニャグニャになった。気が付くと私は壺の外にいた。いや正確には壺の外とま
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