2018年10月9日のブックマーク (3件)

  • 残念ながら出版することは誰でもできるんだ、金さえあれば。 論文の内容..

    残念ながら出版することは誰でもできるんだ、金さえあれば。 論文の内容の正しさはどうやって保証されてるの? 出版すること自体が業績になるなら、金持ちが妄言を論文だって言って出版したらそれも業績になっちゃうんだけどいいの? それがだめなら出版したから業績ってカウントの仕方がそもそも問題だってことになるよね? たとえば適当な査読誌をでっち上げて査読してますと謳って実質無査読の論文を垂れ流すことは同じく金があれば誰でもできますが、そうやって出来上がったものが研究者コミュニティにおいて信用を得られるか、というとまた別の問題。 著者がこれまでアカデミックキャリアを積んでこなかった人だったりしたら、「あっ……(察し)」となって黙殺ルート一直線でしょうね。アカデミックキャリアを持つ人が書いたダメなだったら、どこかの書評でフルボッコにされた後になかったこと認定かな。学術誌って書評欄ありますよね? あそこ見

    残念ながら出版することは誰でもできるんだ、金さえあれば。 論文の内容..
    kigutsu
    kigutsu 2018/10/09
    本ベースのピアレビューは合評会や書評では手厳しいものをよく見る。反論の本も出るが、一つの論文で検証した単独の仮説というより、仮説を集めた理論を戦わせるので全体論的な曖昧さがあり淘汰も遅いのが問題かと。
  • みんな日本語の学術言語としての重要性を過小評価しすぎ

    この件. https://togetter.com/li/1274544 査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは当に理解できない. 何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系の研究業績の大半は自国語だから! 文系の研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準だから! (インドやサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧の植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルやナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えな

    みんな日本語の学術言語としての重要性を過小評価しすぎ
    kigutsu
    kigutsu 2018/10/09
    日本は院水準まで自国語で教育できる数少ない国。人文系では自国語読者市場が成立しており、英語化してみても読者は増えるどころか減ることもありそう。ただ社会学は英語化や査読に割と適した学問ではあると思う。
  • 社会学者、査読論文出してなくても教授になれるし、招待論文(依頼論文のこと?)があれば査読論文無しでも良いらしい問題 - Togetter

    いやこれマジで当なの? 千田先生一人の放言とかじゃなくて? 社会学者さん達がちゃんと「この人(この大学)だけの問題」とか「社会学は査読論文以外の検証システムが構築されてる」とかツイートしてくれたら、まとめにもキチンと追加するのでマジで意見求む。 意見求めた結果いろいろな人が有益な呟きしてくれたので追記。2ページ目まで読んで欲しい所。

    社会学者、査読論文出してなくても教授になれるし、招待論文(依頼論文のこと?)があれば査読論文無しでも良いらしい問題 - Togetter
    kigutsu
    kigutsu 2018/10/09
    門外漢だが今の若手就職に査読無しは無理では。ただ本で殴り合うのが基本だし、国内独自の研究の蓄積が多く国際交流が薄いので英語雑誌は余り読まれてもいない印象。国外でも国際的業績は本中心の分野かと。