《誰もの心と感覚に寄り添う、“隙間のある音楽”の引力》 Taiko Super Kicksの音楽には、“隙間”がある。もちろんそれは音が少ないなどといった意味じゃなく、解釈や楽しみ方に、ものすごく自由があるのだ。例えば仕事帰りの夜道、Vo/Gt.伊藤暁里の歌詞が、誰かの孤独をほんの少し和らげる。例えばどこかのライブハウスで、静かなスリルに満ちたバンドの音に誰かが身を任せ、新しい刺激を楽しむ。例えば昼下がりの部屋の中、深く澄んだ伊藤の優しい歌声が、誰かの心をゆるゆるとほどいてゆく―。 筆者はこれほど“聴き手に寄り添う音楽”を聴いたことがない。それは轟音にすら静謐さを感じさせる、決して押しつけがましくないサウンドもさることながら、伊藤の歌詞にも大きな理由があると思う。彼の綴る歌詞は、「詩」に近い。行間のある、いかようにも捉えられる言葉で紡ぎ出された世界は、1人1人に「自分だけの物語」を思い起こ