これは今からおよそ20年前、2004年に取材したもの。初のカバーアルバムの発表を機に来日した時の日本唯一のインタビューとなった。何故そうなったかと言えば、彼は前日の飲酒がたたってただの頑固な親父と化しており、増井の取材一本受けたのだからもう十分だろうと言い訳して、それで帰ってしまったのだ。当然次が順番だと準備して待ち構えていた他媒体に怒られ、いつもの様に私は逆恨みを買ったが、予見しようもなかったのだから仕方ない。 考えてみれば、ポールにインタビューした回数として私は日本最多だろう。しかし取り立てて仲良くも何ともなれず、日本利権の一部代行とか、版権管理の様な役得とか、未だのメール友達とか、親密な関係を全く築けずに今に至った。勿体無い。 まぁジャーナリストとしてその分純粋だったし、その分ポールも時には緊張で乾いた唇を舐めながら答えていた。そういう下地があったので、この取材の頃には、無遠慮合戦の