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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (4)

  • 素直で笑顔で気がきいて - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしの職場にもリモートワークが導入され、出社しても顔を合わせる会議は最低限になった。飲み会はもちろんない。そのためにわたしはしばらく水木さんにつかまらずにすんでいた。 水木さんはわたしの同期であって、とてもいい人である。やわらかな笑顔を絶やさず、細やかな気遣いをみせ、辛抱強くがんばりやで、後輩の面倒見もよい。 でもわたしは彼女とあまりかかわりあいになりたくなかった。 十年と少し前、わたしと彼女はともに新入社員だった。一年目はなにしろわけがわからないものである。だからたいていのことはいったん「そういうものか」と受け取って、あとで検討することにしていた。 わたしは仕事が終わると毎晩「私的日報」と名付けたファイルをひらいて、その日に覚えたことのほか、確認検討すべきことを書き留めた。たとえば「隣の部署のお茶出しを頼ま

    素直で笑顔で気がきいて - 傘をひらいて、空を
    kimaya
    kimaya 2022/06/15
    地域によってはまだありそうな話。示される規範が少ないのよ…(適切な規範を探しに行けってことなんだろう
  • わたしの仕事 - 傘をひらいて、空を

    夫の転勤にともなって会社員を辞めたあと、大学で専攻していた分野に関連するライターを始めた。独身のころに何度か書いたことがあって、運良く継続的な原稿の依頼をもらえたのだ。ありがたいことにその後、別の媒体からも同様のお話があったけれども、子どもが小さいうちは受注量を抑えていた。家のこともしなければならないし。 わたしが書いている分野では、昼間に会える取材対象者が多く、文献調査の比率も高く、いつも外に出ていなければいけないのではなかった。そうして書くときは家にいたから、パートよりは自由度が高い。わたしは夫にそのように説明し、夫も了承していた。そういう内職ならやってもいいと。主婦にも道楽のひとつくらいあっていいし、それが小銭になるならきみの気も晴れるだろうからと。 わたしも夫も子どもがほしかった。結婚してすぐ、たてつづけにふたりできて、とても運が良かった。よかったけれども、ひとりで年子を育てるのは

    わたしの仕事 - 傘をひらいて、空を
  • 弱者の服毒 - 傘をひらいて、空を

    泣いてごめんね、と彼女は言った。不愉快にさせてごめんね。自分の声が遠いところから聞こえた。頭蓋の中で反射しているはずの声が遠くから聞こえている気がするのだ。涙は止まり、声は平板になり、視界から立体感がうしなわれて、からだに当たる衣類の布がごわごわと大げさに、有毒な異物であるかのように感じられ、それから、その感触が消えた。ごめんなさい、と彼女は言った。世界が遠ざかった。苦しくなかった。苦しくないのはいいことだと彼女は思った。 自分が彼にひどいことをしたので謝っていたと彼女は思っていたけれども、どうにもからだが動かしにくくなって、産休をとって家に居るのに家事もできないので迷惑だろうと思って実家に戻ったら、とたんに彼が飛んできて謝るのでなんだか驚いた。彼はいつもの彼ではなかった。実家だからきまりごとも少なくて、だからかもしれなかった。彼らの家にはいつのまにかできていた(と彼女には感じられた)ルー

    弱者の服毒 - 傘をひらいて、空を
    kimaya
    kimaya 2014/04/01
  • 腫瘍を引きずり出す - 傘をひらいて、空を

    文章は上手くなくて良い。上手いなら幸いだけれども、特別に上手くなくても書きたければ書いていいのだし、書くのはたのしい。それだからみんな作文するといいですよ。そういう主旨でものを書くワークショップがあった。あった、というのは文字通り主催が他の人だからで、私はただその部屋をてくてくと訪れて「下手でも書くのはたのしいです」と言う係だった。ブロガーという名称で呼ばれた、いわばしろうとの代表だ。 その部屋にはだから作文の好きな人たちがいて、主催側の、を書いているような人とその手伝いのスタッフがいた。構えや思いこみを解いてなおかつ自分が読んでおもしろいものを書くためのしかけがほどこされたあとで、場は適度にほぐれ、人々はPCのキーボードをたたいたり、その場で書きあげた文章のプリントアウトと事前に書いてきたものを見比べて感心するなどしていた。 じゃあマキノさん、そこ座っててくださいね、と主催者は言った。

    腫瘍を引きずり出す - 傘をひらいて、空を
    kimaya
    kimaya 2014/03/12
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