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lifeとcolumnに関するkimuchaのブックマーク (7)

  • ABlog いつからか僕の生活からは潰す暇がなくなった

    僕の個人的な生活サイクルで言うと、たぶん2004年から2005年のどこかの時点で、僕の生活の中から『暇』がなくなりました。 正確には、暇と言うより『何もやる事がない時間』がなくなったと言った方がいいかもしれません。ネットと携帯とiPodのおかげで、どんな小さな『何もやる事がない時間』に対しても、何かしらの適当な暇つぶしをあてがう事ができて、結果的にただぼーっとしてしまう時間がなくなったという事です。 こんなに幸せな時代はない、と思いつつ、面白いと分かっているのにやる時間のないゲーム、観る時間のない映画、読む時間のないが積み上がっていく事はものすごいストレスになります。 消費者ではなく、コンテンツの制作者の目からみても、こんなにたくさんのコンテンツがあっても読者、視聴者は消費しきれないだろうな、と感じる事があります。 まあ、作り手としては、いいものを作ればちゃんと見てもらえる、と信じて作る

  • 購読フィード数1000以下の人間を「フツー」と呼ぶのはもうやめよう - アンカテ(Uncategorizable Blog)

    RSSリーダーがフツーの人に普及しなかった訳 - Core これはよくわかる。というか、私もRSSリーダーやソーシャルブックマークを回りに勧めて、誰も使わないので???となっている口だ。 そもそも、もう25年間もこういう業界にいるので、プログラマと「フツーの人」の常識の違いを思い知らされる経験については、相当なストックがある。 一番印象的だったのは、とあるネットワーク関連ソフトのサポートの人から聞いた話。ネットワークが関わるソフトは設定が難しくうまくつながらないことが多い。だから、サポートへの問合せも多くて、それなりに初心者の方への耐性もできている。 ところが、そのお客様のケースは状況が違った。まずコントロールパネルからネットワークの設定を開いて読みあげてもらうのだが、なぜかそれが表示されない。サポート担当者は、どうもドライバがインストールされてないようだと気がつき、「お客様はネットワーク

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  • ASCII.jp:テレビの未来|石井裕の“デジタルの感触”

    そのことを特別に誇りに思ったり、あるいは恥ずかしいと思ったことは今までなかったが、普通の人から見るととても奇異に映るらしい。テレビを持たない理由は、単純にその必要性を強く感じないからである。 刻々と変化する世界の情報は、インターネットから愛機PowerBook G4を通して入って来る。コンピューターは、ネット上の複数の情報ソースへの同時並行アクセスを、スムーズにサポートしてくれる。 サーチエンジンとマルチウィンドウ、ウェブブラウザーのタブ機能(FirefoxやSafariで「command」+「T」キーを押すだけ!)やブックマークを駆使することで、情報収集と分析、加工編集のスピードにおいて、コンピューターはテレビを大きく引き離す。積極的に情報を追い求めるユーザーにとっては、コンピューターが可能にする情報への「ランダムアクセス」と「サーチエンジン」が強い味方になる。 一方、一度にひとつのチャ

    ASCII.jp:テレビの未来|石井裕の“デジタルの感触”
  • 希望は突然やってくる:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan

    ニッポンIT業界絶望論にたくさんの反響をもらったけど、実はあのポストを投げ込んだ後、自分でもちょっと引っかかりが残っていた。それが何なのか、モヤモヤしてて気持ち悪かったんだけど、ウェブ時代をゆくを読んでいたらそれが何だったのかをハッキリと思い出した。 文中で「ひと仕事終えてスターバックスでコーヒーを読みながらしっぽりウェブを泳いでいたら、なんだか得体の知れない不安感のようなものにおそわれたことを思い出す。このとき、とうとう心の底で長らく封じられていた声が聞こえてきてしまったのだった。」って書いてる箇所があったけど、このときに読んでいたのは、実はCNETの梅田望夫・英語で読むITトレンドだった。 あの頃、いつも忙しすぎてネット上の記事をちゃんと読めるまとまった時間がほとんどなかったのだけど、この日には腰を据えて未読分を全部まとめ読みしてみようという気分になったのだった。 そのときに「顧客志向

    希望は突然やってくる:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan
  • まー! 「Web2.0」から「ウィキノミクス」へ

    イトイさんと聞く「ウェブ道具論」:日人の働き方は「タグ」と「ソーシャル」で変わる 非常に面白い対談ですね。 今まさに「働き方」を変えようとしているボクにとっては、当にリアリティのある話です。 もちろん、ヒエラルキーとかツリー構造が捨てられるということでは決してないんです。人間に欲望がある限りは、ヒエラルキーが捨てられるとは思わない。ですけど、タグの構造でだって人々は集まれるし、タグの構造で物の分類はできる。 ネットが社会に浸透した結果、「ヒエラルキー」な組織が弱体化し、「フラット」な繋がりが重要視されつつあります。その実感は、うちのブログの読者なら、誰しもが抱いてるんじゃないでしょうか。 ゲームのように集団でコンテンツを制作する業界では、組織は必然的にヒエラルキー構造を取ります。締めつけの厳しさやおおらかさは各組織の風土によりますが、何らかのヒエラルキー構造を取らずに作品が完成すること

  • 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。

    ここ一週間、たくさんの日の若い人たちと話した。JTPAツアー、九州大学ツアー、そして昨日のLingrイベント。それでつくづく思ったこと。もう前にも一度言ったことだし、当たり前のことだし、言わなくても伝わっているだろうとふと思っても、しつこく言おうと。なぜなら、僕が考えていることと正反対の言葉を、日の大人たちから皆はシャワーのように浴び続けているし、僕がこうあるべきと思うことと正反対の経験を日々せざるを得ない状況にある、ということがよくわかったから。 二十歳にもなれば、その人のすべてはもう顕れている。その自分の良いところを見つけるには、自分の直感を信じ(つまり自分を信じるということ)、自分が好きだと思える「正のエネルギー」が出る対象を大切にし、その対象を少しずつでも押し広げていく努力を徹底的にするべきだ。そういう行動の中から生まれる他者との出会いから、新しい経験を積んでいけば、自然に社会

    直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
  • My Life Between Silicon Valley and Japan - 平野啓一郎さんの「巧みに生きるか、善く生きるか」を巡って

    平野さんの公式ブログの最新エントリー「巧みに生きるか、善く生きるか、……」(是非全文読んで考えてみてほしい) http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20070121 を巡って思ったことをちょっと書いてみる。 『ウェブ人間論』の対談をしていた時にも考えていたことですが、人間は、自分の属している社会のシステムと否応なくつきあいながらどうにかこうにか生きているわけですが、そこで、「巧みに、うまく」生きているだけでは、結局のところ、満たされないんじゃないかという気がします。それは直接には、僕自身を振り返ってみてのことですね。 巧みに生きる、ということについて言えば、梅田さんがいみじくも「サバイヴする」という言葉で表現したように、今の社会は、ノンキに関わって生きていこうとするためには、複雑になりすぎているんだと思います。ITに関してもそうだし、経済にしてもそう。

    My Life Between Silicon Valley and Japan - 平野啓一郎さんの「巧みに生きるか、善く生きるか」を巡って
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