2018年2月12日のブックマーク (5件)

  • スノーボードでグラトリ(基本・プレス編) | スノボーのスー

    スノーボードでグラトリ(基・プレス編)スノーボードでグラトリのやり方(基、プレス編)です。 ここでは、グラトリの基となるトリックと、プレス系(スライド系)のトリックのやり方を紹介します。 特にオーリーは、初めからレベルの高いオーリーを練習してなかなか覚えられない人がいるので、全4回に分けて細かく説明しています。 基編停止オーリー(初級編) オーリー(初級編)にチャレンジする前に、止まった状態でのオーリーを練習します。 オーリー(初級編) ジャンプのことです。 すべてのトリックの基になります。 停止オーリー(上級編) オーリー(上級編)のやり方を止まった状態で練習します。 オーリー(上級編) より高くオーリーしたい人向けの内容です。 オーリー(初級編)をマスターしてからチャレンジして下さい。 停止ノーリー ノーリーのやり方を止まった状態で練習します。 ノーリー オーリーとは逆の足で

    kita-tuba
    kita-tuba 2018/02/12
    スノーボードでグラトリ(基本・プレス編) | スノボーのスー
  • 小学生の頃にどんな本を読んでいたか

    昼飯時に嫁さんとそんな話をしてた。夫婦ともに漫画好きなのでその頃の漫画の話が大半で、けっこう同じような漫画を読んでいたようだったんだが、普通のとなると男女でちょっと違っていた。 俺はズッコケ3人組、ホームズ、ルパン、乱歩あたりを好んでいた。それ以外にも海外の少年探偵団ものがあったはずなんだがタイトルも何も忘れてしまった。嫁さんは伝記や困ったさん、青い鳥文庫、モモを挙げた。特にモモは何度も読んだそうだ。(俺は一度も読んだことがないのだがあきれられそうだから黙っていた) 自分としては別に男らしさなんて志向していないつもりだったけど、それなりに選書の時点でバイアスがかかっていたのかーなんて思った。それとも男女で好きな傾向は間違いなくあるのだろうか。

    小学生の頃にどんな本を読んでいたか
    kita-tuba
    kita-tuba 2018/02/12
    ■小学生の頃にどんな本を読んでいたか
  • 家庭内通貨を導入したら「元ヤクルト古田選手」が救ってくれた話

    何を言ってるかわからないと思うが、騙されたと思って最後まで聞いて欲しい。 <単純明快なルール> 我がオロチ家が家庭内通貨を導入して1年が過ぎた。子どもたちは、家の手伝いをしたり、大人を助けてくれたとき「ペコ」というオリジナル紙幣をGetできるのだ。 ※イメージ図。実際のペコ紙幣はコピー用紙に印刷した粗末なものだ。 ペコ紙幣の額面は1ペコ、2ペコ、3ペコしか存在せず、運用ルールは単純明快。以下のたったひとつしかない。 1度に与えられる額は基1ペコのみ。 これは運動会で1位をとったなど大金星をあげたときは3ペコぐらい与えて、特別感を演出するためである。したがって普段はお手伝いの内容にかかわらず一律1ペコだ。 そして使用ルールに関しては以下の3つのみ。 1.ゲームをしたいときは2ペコ払うこと 2.大人が「いい」と言ったらゲームができる 3.大人が「やめろ」と言ったらすぐにやめる ※各種端末で見

    家庭内通貨を導入したら「元ヤクルト古田選手」が救ってくれた話
    kita-tuba
    kita-tuba 2018/02/12
    家庭内通貨を導入したら「元ヤクルト古田選手」が救ってくれた話
  • 東京に家を持とう、小説「狭小邸宅」みたいな街中のオープンハウスの景色 : 市況かぶ全力2階建

    東洋経済とダイヤモンドから二面攻撃を受けるFPパートナー、東洋経済のさらなる追撃「金融庁が動いている」に耐えきれず底抜け

    東京に家を持とう、小説「狭小邸宅」みたいな街中のオープンハウスの景色 : 市況かぶ全力2階建
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    kita-tuba 2018/02/12
    東京に家を持とう、小説「狭小邸宅」みたいな街中のオープンハウスの景色
  • 【SF史に残る(べき)ゲームたち】第0回 ゲームを正当に評価するために

    ゲームは、現代を代表する表現形式である。疑うならば、電車に乗れば良い。子どもも大人も、スマホを開き、ゲームに興じている。 これだけの大勢が日常的に接しているメディアである。人々の感性や認識に影響を与えないわけはない。しかし、そうであるにも関わらず、これまで、批評・研究は、正当な目を注いで来なかった。その理由は、人類が手に入れた新しい表現形式・メディア・芸術であるゲームの正当な価値を見誤ってきたからでもあるし、既存の方法論ではゲームを論じることが困難であった、という理由にも拠るだろう。 ゲームは、少なくとも映画が払われてきたのと同じぐらいには、注目され、論じられてしかるべき表現である。映画も生まれてまだ一〇〇年ちょっとしか経っていない新しいメディアであり表現形式であり、最初は単なる見世物であり神経を刺激するだけのものと考えられてきたが、二〇世紀における映画・映像が、単なる娯楽に留まらず、人々

    【SF史に残る(べき)ゲームたち】第0回 ゲームを正当に評価するために
    kita-tuba
    kita-tuba 2018/02/12
    【SF史に残る(べき)ゲームたち】第0回 ゲームを正当に評価するために