私たちが皆、心を一つにして、「今日は祝日だと思っていました」と言い張れば、今日は休むことができたかもしれない。奇跡を起こすことができたかもしれない。カレンダーの赤色、みんなで勘違いすれば怖くない。私たちが一つになった時、一体誰がそれを咎められたというのだろうか。私たちが一つになれば、今日は祝日にできたのである。 しかし、私たちにはそれができなかった。私たちに足りなかったものは、信じ抜く力だと思う。
例えばマハトマ・ガンディーが非暴力不服従というスローガンを唱えたのは、非暴力不服従の姿勢を貫いてインド人が何人死のうが気にならなかったからで、 最近ホットな居酒屋チェーン店のシャッチョさんは政治に色気出してるけれども過労自殺した店員の名前はナチュラルに覚えていないと思われる。 よくいる新興宗教の代表者だって信者を金づるとしか思ってない。じゃないと商業的に成功できない。 金、権限、地位のために頑張る人間というのは自然で、理念を全てに優先する人間というのは狂っている。 人が大学受験を頑張って良い就職にありつきたいと思うのは、ブラック企業勤務や非正規雇用者のようになりたくないという保身のためであるからで、間違いなく他人のためではない。 母親ならば子供のために何でもするというのは様々な作品で築かれてきた幻想で、実際はストレスが臨界点に達したら幼児虐待をするのはまず母親であるし、 ピストルを突きつけ
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