この項目の現在の内容は百科事典というよりは辞書に適しています。百科事典的な記事に加筆・修正するか、姉妹プロジェクトのウィクショナリーへの移動を検討してください(ウィクショナリーへの移動方法)。(2013年5月) 箕子の憂い(きしのうれい)は、「小さな事柄から大きな流れを察知すること、またはそれができる人物」という意味で、韓非子が出典とされる。 「韓非子」における記述[編集] たとえ話に意味を乗せ、その後に注釈を示している。 殷の紂王が、はじめて象牙の箸を作った。それを知った家臣の箕子が恐れを抱いた。象牙の箸を何故そこまで恐れるのか分からない周囲の者たちに、箕子が語った。 「象牙の箸を使うとなれば、(今まで用いていた)素焼の鉢などではなく玉(翡翠)の器や犀の角の杯を用いたくなるだろう(象箸玉杯、ぞうちょぎょくはい)。象牙の箸に玉の器で食事をするとなれば、(今まで食していた)豆の葉や藜の汁など