早川 徳次(はやかわ のりつぐ、1881年〈明治14年〉10月15日 - 1942年〈昭和17年〉11月29日)は、戦前日本の実業家。東京地下鉄道(後、帝都高速度交通営団→東京地下鉄)の創立者で、日本に地下鉄を紹介・導入したことから、「(日本の)地下鉄の父」と呼ばれる。 山梨県東八代郡御代咲村(現在の笛吹市一宮町東新居)に生まれる。父の常富は御代咲村長を務めた人物で三女四男をもうけ、徳次はその末子である。母「ゑひ(栄)」は徳次出生の翌年に死去している。長兄の富平は山梨県会議員を務めた人物で、笛吹川廃河川を開拓したことで知られる小松導平も兄にあたる。 旧制甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を経て第六高等学校(現在の岡山大学)に入学するも、2年の時に病気になり中退を余儀なくされた。その後、上京して早稲田大学に入学する。父や兄と同じように政治家を志し、在学中に後藤新平の書生となった。 1