「残り物」だったWindows 私がMicrosoftで最初にした仕事は、Windows 1.0の日本語化だ。今から考えれば、その実績があったからこそWindows 95のアーキテクトになれたのだが、実は自ら進んでやった仕事ではない。 Microsoftがアスキー出版との総代理店契約を打ち切り、MSKKと呼ばれる日本法人を作ったのは1986年のことだ。当時、NTTの研究所にいた私は、そのニュースを新聞記事で読みすぐに転職を決めたのだが、退職手続きに時間がかかり、アスキー出版から移ってきたメンバーよりも1ヵ月遅れて入社することになった。 当時エンジニアは私も含めて3人しかいなかったが、私よりも先に入社したエンジニアたちが早い者勝ちでXenix[1]とMultiplan[2]を取ってしまったため、残り物だったWindowsの仕事が私に回ってきたのだ。 当時のWindowsは速度も極端に遅く機能