はじめに 戊辰戦争は戦国乱世の支配地域の奪い合いとは異なり、次代を担う政権のあり方を巡る戦争ですから、政治思想をぬきには語れません。 戊辰戦争の第二幕にあたる東北・北越戦争を、学界は軍事をさておいてイデオロギー面から論じてきました。たとえば石井孝(故人・東北大教授)は先進的な西国諸藩が天皇を核とする絶対主義政権を築こうとしたのに対し、おくれた東北諸藩がルーズな連合体を形成して対抗したという学説を唱えました。 しかし、実際に諸藩の動向を左右したのは軍事的リアリズムです。先進あるいは保守といった観念論は、むしろオマケだったとワタクシは考えています。この記事では両陣営による軍事的リアリズムが、どれほど諸藩を動かしたかについて御披露します。 なお、慶応4年=明治元年は閏年です。旧暦の閏年は 19年間に7回あり、その年は13ヶ月になります。慶応4年の場合は4月と5月の間に閏4月があります。よくある「