2011年12月5日のブックマーク (3件)

  • ▼ウェス・ジャクソン「そのこたえを知らなくても、勇気をもって問わなければならない」 | イノレコモンズのふた。

    昨日の「デモクラシーナウ!」のハイライト・シークエンス。12月2日発売の「週刊金曜日」にちょうど同じようなはなしを書いたので、このくだりが特に印象に残った。ちなみに、ウェス・ジャクソンはこうも云っている。 「あなたのライフワークがあなたが生きているあいだに達成させるものなら、 あなたは十分に大きなことを考えてはいません。」 この場合の「大きさ」とはスケールのことではなく、サステイナビリティ=継続可能性のことである。あと、これもよかった。 社会変革は、いつも思いがけないところからはじまるだけでなく、それはまた、思いがけないときにはじまる。まるで「時間の関節がはずれている」ようなときにそれはおきる。だからこそ、勇気をもって続けなければならない。たとえ、自分がそれを目にすることができないとしても、成果をもとめず、みかえりをもとめず、続けなければならない。それが「社会(のための)運動」だと思う。新

    ▼ウェス・ジャクソン「そのこたえを知らなくても、勇気をもって問わなければならない」 | イノレコモンズのふた。
    kkbt2
    kkbt2 2011/12/05
    「そのこたえを知らなくても、勇気をもって問わなければならない」
  • 論理的な人と理屈っぽい人 : 佐野辰夫のblog

    2006年07月12日07:01 カテゴリ 論理的な人と理屈っぽい人 危機管理広報課の宴会の話は、新聞だけでなくテレビでも取り上げられていましたので削除しました。さて、前回紹介した内田樹著「子どもは判ってくれない」の続きです。以下引用抜粋です。 論理的な人と理屈っぽい人 論文を書くためには、まず資料を集める。そして、収集した資料を分析し、理論を立てるという論理的思考が必要である。 「論理的に思考する」というのは、今の自分の考え方を「かっこに入れて」、機能を停止させる、ということである。 「今の自分の考え方」というのは、自分にとって「ごく自然」と思えるような経験や思考の様式のことである。目の前に問題があって、それがうまく取り扱えない、というのは、要するに、その問題の解決のためには「今の自分の考え方」は使いものにならない、ということである。 それはペーパーナイフでは魚を三枚におろすことはできな

    論理的な人と理屈っぽい人 : 佐野辰夫のblog
    kkbt2
    kkbt2 2011/12/05
    「「理屈っぽい人」は一つの包丁でぜんぶ料理をすませようとする人のことである。「論理的な人」は使えるものならドライバーだってホッチキスだって料理に使ってしまう人のこと」
  • 採用する側から見た例のマイナビの広告 - 常夏島日記

    (四捨)五入すれば10年前に某社の採用担当をしていて、四捨五入すれば0年前に某社の最終いっこ前の面接をしていた立場からちょこっと感想をば。 いっとくけどトップレベル企業じゃないからね。 マイナビ2013の広告が気持ち悪すぎる - 就活生に甘える社会人を読みました。そして、マイナビを皮肉るマイナビ2013の広告がすばらしすぎる件 | onomiyuki.comも読みました。 「マイナビ2013の広告がすばらしすぎる件 | onomiyuki.com」の記事は、就職活動する学生の立場に立っての記事でしたが、私もほぼ同感です。なお、私は既に就職活動を約20年前に終わってて、採用側の立場のほうがはるかに長かったので、採用側としての感想です。つまり。 こんな広告を真に受けてマイナビ使う奴とか採りたくねぇぇ。 具体的に書きましょう。この広告が明示してくれた、私の就活生に対する不満は次のようなものです。

    採用する側から見た例のマイナビの広告 - 常夏島日記
    kkbt2
    kkbt2 2011/12/05
    「「入ってやってもいいけど」くらいに思って「滑り止めなんだけど」くらいに思って面接を受けているような奴が欲しい」目標には永遠に追いつけない的な。