ブックマーク / mubou.seesaa.net (8)

  • 読書感想文「なんか」と言われてしまう現況は、非常にもったいないと思うんだ: 不倒城

    まず最初に、@daichiさんのこのツイートがある。 読書感想文なんかより要約やらせたほうがよほど国語力伸びる気がする。書いてあることを書いてあるとおりに読めない人がちゃんと書けると考えるのなかなか難しい。要約が大事というのは全くおっしゃる通りであるし、書く前にまず読解から、という点にも異論はない。「今の学校教育における読書感想文」を対象にすれば、@daichiさんの言うことは実に正しいと思う。 ただ、私は来「読書感想文には読書感想文にしか出来ないことがある」筈だし、もっと教育としてやりようがあるだろう、要約は要約で勿論必要だけど、「読書感想文なんか」と言わせてしまうのはいくらなんでも勿体ないだろう、という意見をもっている。 ちょっとこのエントリーではそれについて書いてみたい。 昔話から始める。 小学校の頃、それなりに気合の入った読書感想文を書いたことがある。確か、クラスの課題図書は、ケ

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    kkbt2 2017/01/04
    「先生が「よく書けています」しか書かないなら、じゃあ感想文も「よく書けていました」でいいじゃねえか」
  • 選択問題で、「間違いの選択肢に注目する」という教え方をしていたので晒してみる: 不倒城

    試験勉強のお話である。 その内自分の子どもに教えることになるかも知れないシリーズ。思い出したので忘れない内にメモしておく。既出かどうかは知らない。 学生の頃からやっていたことなのだが、選択問題を解く際、ちょっと難しい問題だなと思った時には、5つのステップに分けて勉強していた。で、自分が勉強していたやり方を、家庭教師や塾講師のバイトで教えてみたら、これがそれなりに評判が良かった。 主にセンター試験対策で、現代文・古文の文章題を解く時に使っていた勉強法なのだが、多分ある程度一般化出来ると思う。下のようなやり方だ。 1.選択問題を解く 2.正解がどれだったか、それが何故正解だったのか、を確認する 3.正解以外の選択肢に注目して、「それは何故間違いなのか」を重点的に確認する 4.出題者が、「どういう間違え方を期待して」その選択肢を作ったのか、を考える 5.自分ならばどういう問題と選択肢を作るか?を

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    kkbt2 2014/01/28
    「正解以外の選択肢に注目して、「それは何故間違いなのか」」「出題者が、「どういう間違え方を期待して」その選択肢を作ったのか」「自分ならばどういう問題と選択肢を作るか」
  • 地元民の優越感と、見慣れた綺麗な景色のお話。: 不倒城

    ちょっと取りとめもない話をする。 職場の近くでの出来事だ。 私の職場はお台場の一角で、いわゆる観光地に近しい。職場の向かいではフジテレビ社ビルのなんか丸い物体がキラキラと光っており、近隣の駅では年二回漫画のお祭りが開かれる、そんな立地である。 私にとっては見慣れた風景を、喜んで写真に撮っている外国人の観光客らしき人がいた。 その光景を遠めに観て、「こんな景色何が珍しいのかねえ」と、やや蔑んだ口調で言った会社員の人がいた。 私の普段の心象は、正直に言えば後者に近しい。おそらくその会社員の人もそうだったのではないかと思うのだが、こういう時私の感情の主たるものは、恐らく優越感だと思う。自分が見慣れているものが、相手にとっては珍しいものである、という優越感。相手が貴重とみなしているものが、自分にとっては大したものではない、という優越感。 これは勝手な想像なのだが、「観光客に対する地元民の優越感」

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    kkbt2 2013/01/02
    「「見慣れた景色を写真に撮っている外国人」というのは、そういった「見慣れた綺麗なもの」の存在を私に教えてくれる絶好の機会なのではないか」
  • 結構本音で、いわゆる「結婚への高望み」の中身について聞いてきた: 不倒城

    当にひょんなことから、職場でこちらのエントリーについての話になった。 当は怖いガールズトーク 話した、というか話題にされた相手は、隣の部署のAさんである。どうもはてなー、というか増田によく書き込む人らしく、たまたまはてなブックマーク経由でまなめさんのまとめに辿り着いた。 彼女はモテないという。私は元来頭の頂点からつま先に至るまで純度100%の朴念仁である為、どういう女性がモテてどういう女性がモテないのかよく分からないのだが、人曰く「笑える程もてない」らしい。 非常にさばさばとした人で、酒も入ってない職場の席で、普通なら話しにくそうな話を平然とするので、ちょっと書き留めておきたくなった。 以下、会話の内容は編集しているが、大筋では話したまんま。 A:「これさあ、」 し:「はいはい」 A:「最近、「結婚に対して高望みし過ぎな喪女」みたいなスレとか記事とかよくみるけど。多分なんだけど、私に

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    kkbt2 2009/07/23
    「だから、多分、妥協するっていう選択肢は最初からないんだと思う。だって妥協するのは四位確定の上がりと一緒だから。」結婚ではないが、あの「働いたら負け」を思い出した。妥協して働くくらいなら・・みたいな
  • 「あなたはターゲットじゃないですよ」と言われる時。: 不倒城

    メモ的に。 Webが日常的なものになって以降、「マスマーケティング(一般的な、広い範囲のユーザー層を狙った商法)は次第に難しくなっており、ニッチを確実に狙ったマーケティングやCRMの活用が重要になりつつある」、という議論は割と一般的なものになっている様な気がする。「マスマーケティング web」でぐぐるだけで、この手の議論はごろごろ出てくる。こことかこことか。 上の議論が正しいのかどうかは、ひとまずおく。ただ、上の議論が正しいものと考えて販売戦略を練っている人、というのは、おそらく割とたくさんいるんじゃないかなあ、と思う。 乱暴に概括してしまうが、「皆に浅く受けるものより、一部の人を確実に捉える」もの作り、売り方にシフトしようという動きは、今では珍しいものではない筈だ。 さて。上記の動きはまあ妥当なものだとは思うのだが、これをユーザー視点で捉えた議論は意外と見ない。上の動きって、ユーザーから

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    kkbt2 2009/07/14
    その通りだと思っていて、一個人から見える快適な世界はむしろ狭くなっていくと思う。今後のヒントはおそらく神話というか、ジブリ的な構成のあり方になっていくのかもしれない
  • 「生き方の一般化」が無理過ぎる話: 不倒城

    要は、勇気がないんでしょ? [悪意]id:guri_2という、こいつが生きているからこの世界は駄目なんだというような糞野郎を、このリルリルが貴重な時間を浪費して罵倒してあげる この辺を見ていて、ふと思ったこと。 ここしばらく、「ポジティブ vs ネガティブ」であるとか、「生き方強者 vs 非生き方強者」という様な論争を頻繁に見る。 まず第一に。当たり前の結論から先に言うと、こういった「生き方」的なものを一般化することは来不可能である。 人間の人生というのは、生まれた瞬間から扇形に枝分かれしていく。生まれた当時は同じ赤ん坊でも、「ある人の十年」と「他のある人の十年」が同じである可能性は、当たり前だが皆無である。 経済状況から現在の環境、好み、人間関係、果ては思考から性格まで無限のパターンが存在するのに、「ある人にとって適した生き方」が「他の人にとっても適した生き方」である可能性が、一体どれ

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    kkbt2 2008/03/19
    妥当な意見だと思う。それを薄々わかりつつ、でもその話で盛り上がるということは、マッチョもウインプも自分語りしたいし、自分を見て欲しいということじゃなかろうか。合意できるかどうかは実は重要じゃないとか。
  • 沈黙というメッセージは届かない: 不倒城

    ちょっとひとり語りをする。 昨日のエントリーを書いてから、また別の幾つかのエントリーを読んで、色々考えた。 十年来の知人がいる。まあ、「親友」というラベルをぺたりと貼っても、凄く嫌そうな顔をしつつもまあ勘弁はしてくれるかな、という感じの仲である。 私と彼は、多分割と相談事を持ち込まれる、あるいは愚痴を聞かされる方だと思う。 「彼の自己評価」と、「私の彼に対する評価」が一致しているかどうかは分からない。というか、まあ、おそらく違っているだろう。ただ、私自身は、彼と私の相談事の聞き方は結構違っている様な気がしている。私に愚痴を聞かせる人と、彼に相談ごとをする人は、求めているものが大分異なっている様な、そんな気がしている。 昨日のエントリーでも書いたが、「つらそうな人」の言葉を聞く時、私は何も言わない、というか何も言えないことが多い。言ったとしても、一見関係がなさそうで実はありそうで、でもよく考

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    kkbt2 2007/11/09
    激しく共感する。ちょっと別角度からWebにおける沈黙について自分もよく思うことがある
  • 今日、凄いことに気がついて一つ大人になった: 不倒城

    世間の絶対多数、多分日人口の99.998%くらいにとってはもうもの凄くしょうもないことだと思うが、私の中では割と一大事だったので書いておく。 私は、高い所が好きである。 高い所によじ登ることが好きである。 常々、私には「電柱によじ登りたくなる」という悪癖があった。電柱の横についている工事用の手がかり、容易に上れない様に下の二は外されているあれだ。あれが丁度、私がちょいと手を伸ばしてよじ登るのにぴったりの高さについているのだ。見るたびに誘惑に駆られていた。 今日気付いた。あの高さは信頼なのだ、と。 この高さに手が届く様なヤツは、まあ大人なのだから、無分別に電柱に上ったりはしないだろう、と。上らないだけの自制が効くだろう、と。そんなアホなことはしないだろう、と。あの高さは、身長を担保にした信頼だったのだ。 私は電柱に信頼されていたのだ。電柱の手がかり、下2を外している人に信頼されていたの

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    kkbt2 2007/10/23
    「子供が死ぬのは納得した時である。」深い。
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