タグ

ブックマーク / shirooo305.hatenablog.com (5)

  • 『かげきしょうじょ!!』11話の表情と芝居について - Paradism

    終始芝居が良かった11話。中でも特に気になったカット、シーンについて。まずはAパート頭のお風呂のシーンですが、瞬間瞬間でドキッとするような端正な顔立ちが描かれていたのがとても良いなと思いました。元々のデザインが可愛らしく良い意味で情報量が多くない*1感じなので、話の方向に従って絵の印象を大きく変えられるのかなとは感じます。主人公のさらさの性格も相まってか、コミカルなシーン/芝居もあったり、真面目な話をしだすとこういうキリッとした表情になったり。それも含めて彼女たちが紅華歌劇音楽学校の生徒である所以と思えるのも面白いというか。日常生活が舞台であり、演劇。そんな風に思えたりするのも尚、拍車を掛けて良いです。 当のさらさがこういった感情の乗った表情をするとグッとくるというのも、ようは同じことなのだと思います。表情がコロコロ変わるのも彼女の良さであり、それが主人公 (舞台の主役) 足る所以。彼女の

    『かげきしょうじょ!!』11話の表情と芝居について - Paradism
  • 劇場版『若おかみは小学生!』の芝居・身体性について - Paradism

    表情変化や歩き芝居に始まり、抱き寄せる芝居、ものを運ぶ芝居、屈む芝居、掃除をする芝居など、おおよそ生活の中で見られるであろうアニメーションを徹底して描き出した今作。日々人が営む中で起こす動きを描くというのは非常に難しいことですが、それを終始高いレベルでここまで快活に描いていたことにとても驚かされました。加えて、そういった数多くの芝居が物語に寄与していたものは計り知れず、鑑賞後はこの作品が劇場アニメとしてのスケールでTV版とは別に作られた意味を思い知らされたようでした。*1 なぜなら、両親を失くし、祖母に引き取られた先で若女将として経験を積んでいく主人公のおっこがその過程で見せた懸命さも、失敗も、時に見せる子供らしい表情もその全てがとても生き生きと表現されていたからです。着物のシルエットや姿勢、いわゆるフォルムとその動かし方や、それらを内包した生活アニメーションの巧さは前述した通り当に素晴

    劇場版『若おかみは小学生!』の芝居・身体性について - Paradism
  • 『ヤマノススメ サードシーズン』10話の演出について - Paradism

    7話から描かれ続けてきたあおいとひなたの擦れ違い。おそらくは、あおいの成長、交友関係の広がりに対して “遠ざかっていくような感覚” をひなたが覚えてしまったことが原因の一つになっていたのでしょう。どこへ行くにしても常に傍にいた存在が少しずつ “自分の居ない場所” へ足を向けることに抱いてしまう寂しさや戸惑い。互いを見続けてきた二人の関係だからこそ変化というものにはとても敏感で、どちらかが変わっていく分だけその間には少しだけ小さな溝が生まれてしまったのだと思います。 そして、話はそんな溝とそのせいで出来てしまった心的距離をとても繊細に切り取っていました。特に人さえまだ言葉にすることが出来ていなかったひなたの抱く感情を寡黙に、且つ雄弁に映し出してくれていたのは当に素晴らしく、冒頭から終盤にかけ彼女の想いを一つ一つ拾い上げていくよう紡がれたフィルムの運びは非常に感傷的でした。 冒頭で描かれ

    『ヤマノススメ サードシーズン』10話の演出について - Paradism
  • 吉田健一展と 『バレエ・メカニック』 - Parad_ism

    先日、西荻窪のササユリカフェで開催されている吉田健一さんの個展に行ってきました。『電脳コイル』 から 『Gのレコンギスタ』、『キングゲイナー』 など氏の手掛けてきた多くの作品の資料が展示されていたわけですが、特に 『エウレカセブン』 が大好きだった私としてはその圧巻の資料群を前に心を躍らせずには居られませんでした。 中でもある一冊のファイルに綴じられていた資料に私は驚きを隠せませんでした。第48話 『バレエ・メカニック』。アネモネとドミニクの恋路、その結末。あの素晴らしいエピソードを綴った話の脚・原稿がそこには収められていたのです。 「もし、この戦いが終わっても生きていいって言われたら。小さな鏡を一つ買って、微笑む練習をしてみよう――」 そんな彼女の言葉を筆頭に綴られた台詞と描写の数々はとても生き生きとしていて、それはもう読んでいるだけで一つ一つのシーンが鮮明に目の前へと蘇るようでした

    吉田健一展と 『バレエ・メカニック』 - Parad_ism
  • 『あいうら』 の変化と再演 - Parad_ism

    アニメ雑感アニメにおける再演。時として物語の普遍性や変化を描き、またその中で生き続けた登場人物たちの成長をも切り取ってくれるそれは、まさにそれまでに存在した全十数話の物語を圧縮した映像の重なりであり、だからこそそうして比較された序盤と終盤における1カット、1シーンの一つ一つからはそれこそ言葉に出来ないような感慨が溢れ出るのではないかと思います。 「ああ、彼女たちは当に成長した」 「もうきっと、ここから先は大丈夫」 「だから彼女たちはこれまでも、これからも。そうして足並を揃えた生きていくのだろう」 そんな、まるで胸に突き刺さるような想いをある種の感動共にもたらしてくれる“繰り返し”の美しさ。 それはとても雄弁でいて寡黙な、まさしく映像の妙味とも言うべき心地の良い魅せ方でもあるのでしょう。 特に 『あいうら』 における12話(最終回)から1話へ向けての再演は何度観ても素晴らしいものがありまし

  • 1