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ブックマーク / m.job-list.net (2)

  • 日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄

    私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働でいつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣住付きで三百万円を支払う。仕事は日の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う

    日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄
    klaftwerk
    klaftwerk 2020/07/31
    ODA関係、流石に今は限られた選ばれし者たちのみが利益を受けられる構造になってて昔の大雑把な形から嫌な進化の形をとってるみたいな話は聞く
  • 寿司の配達をしていたらヤクザの事務所で囲まれた話

    「お前、どんだけ待たすねん。◯すぞ」 私は特上の寿司が入った桶を持ちながら、ストライプのスーツを着た4人の男たちに囲まれていた。そこはヤクザの事務所だった。 大学生のとき寿司の配達のバイトをしていた。 なぜそのバイトにしたかというと、まずデリバリーなので時給が高かった。1200円くらいだったと思う。その当時の時給は今と違って平均がわりと低く、1000円以下の仕事もたくさんあった。 場所も一人暮らしのマンションから近かったのでよかった。歩いて15分もかからない。高校生の時からバイクは好きだったので、寿司を運んで帰ってくる仕事は性に合っていると思った。 面接に行ってみると店長にすぐ働いてくれと言われた。話しやすい気軽な人、という感じが一人目の店長の印象だった。 一人目の店長というからには店長は変わったのだとわかっていただけると思う。この店長は二週間であっけなくいなくなってしまった。 陽気なこの

    寿司の配達をしていたらヤクザの事務所で囲まれた話
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