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読者の皆様こんちは。 今日は、人によっては、変な話と思われることを書きますが、 私は、至って真面目に書いてますので・・・ よろしくお願いいたします。 自分の人生は、 本当に自分が決めているのだろうか? そんな疑問を持ったことは、ありませんか? 生まれる前に、自分がこういう人生を歩みたいと 決めて生まれて来たという説をとなえる人もいます。 人生の中で何かを決める時・・・ 大事なターニングポイントにさしかかり決断したこと。 下した決断は、本当に自分が決めたのだろうか? 私は、ずーっと自分では決めていない気がしていました。 霊感ゼロの私でももしかして、 守護霊様や背後霊様に導かれているのでは? と思ったりしたこともあります。 私を突き動かしていたものの正体は? 何日か前に主人と話をしていて、 私が『大事なことは、自分で決めてる気がしない・・・』 『誰かが、こうするように言っている気がする・・・』
1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。 あっという間に過ぎてしまう3学期のことを、学校の先生はよくこんなふうに表現します。 いつもは逃げ足が速い2月ですが、今年は閏年、29日までありました。 ですから、例年より1日長い3学期になるはずでした。 ところが、 その2月の終わりに大きな発表がありました。 そして、今年の3学期は、思いっきり短くなってしまったのです。 神戸の学校は3月2日で止まってしまいました。 3月3日からの出席簿には「臨時休校」の文字が、ただ並び続けるだけです。 3月は突然どこかに去ってしまったのです。 卒業式も終業式もないまま、もうすぐ3月31日を迎えてしまいます。 一体いつまでが3学期で、いつからが春休みだったのか、その境目さえはっきりしません。 あとになって数えてみれば、夏休みと同じくらい長い休みの日々になってしまいました。 それは、何の目標もなく、先の手がかりもなく、外
偽平等より、違っていていい!という流れ こばとを開設した平成前半、30年以上前の風潮は なんでも平等!平等!・・・で教育現場でも通信簿の評価の表記が変わり 差をつけない、差を目立たせない運動会や、横並びの発表会・・・ 障がいがあってもみんなと同じ普通学級で・・・ 統合教育は障がい児教育の望ましい形のように言われてもいた。 統合教育という思想に賛同、後押しする団体がいろいろあって 障害児の保護者も意を強くする人が多かった。 特殊学級(支援学級)や養護学校(支援学校)に入れるのは 保護者の側にもなんか差別されたような、 被害者的感覚がすくなからずあったのかも。 私は、こばとを始める前、臨時講師として学校に勤務していたことがある。 特殊学級(今の支援学級)を担任した時は、良い校長先生に恵まれた。 学級の障がい児達をかわいがってくれたし、好きなように授業が出来た。 私は全校集会がある時は、早目に7
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