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ブックマーク / urbansea.hatenadiary.org (3)

  • シナリオ「桐島、部活やめるってよ」(喜安浩平・吉田大八)および映画「桐島、部活やめるってよ」(吉田大八) - 北小路ゲバ子の恋

    冴えない時間を一緒に過ごしたやつが友だちだと思う。  id:goldhead 2010-06-30 きのうまでは、友達(ダチ)だった。  関根忠郎による「その後の仁義なき戦い」の惹句 話したじゃんあの頃は。たまに。  「桐島、部活やめるってよ」シーン58 橋愛さんのセリフ 第一部 がまん劇、および義侠心と恋闕 集団劇であるから「桐島、部活やめるってよ」にはいくつかの結末が置かれるが、そのひとつに橋愛さんの平手打ちによるカタルシスがある。そこにおいて「桐島、部活やめるってよ」は『がまん劇』となる。がまん劇とはなにか。卑怯な連中に親分が痛めつけられ、それまで我慢してきた鶴田浩二が匕首片手に敵地に乗り込む、こういう筋の類のものである。ここにあって「がまん」とは「来個人の感情である辛抱に、忠義という公的な思想が入っている」(水落潔 笠原和夫「破滅の美学」153頁より孫引き)ものである。よって

    シナリオ「桐島、部活やめるってよ」(喜安浩平・吉田大八)および映画「桐島、部活やめるってよ」(吉田大八) - 北小路ゲバ子の恋
  • 宇多田ヒカルPV難癖ブックマーク - 北小路ゲバ子の恋

    20世紀の終わりの私は、下を向いていきていた。なにしろ大塚銀悦の「濁世」を読んでいた頃である。大塚銀悦・国映のピンク映画・水道橋の場外、私の居場所はそんなところにあった。つまりは日蔭者であった。宇多田ヒカルの登場は、そのような私に追い打ちをかけ、この日社会から居場所を失うような疎外感を覚えさえした。そんなころ、亀有名画座(拙ブログエントリ「ラストショー / 亀有名画座」)が閉鎖したりもした。97年の山一破綻により、経済危機が言われたけれども、カタストロフィは訪れることはなかった。「希望は戦争」のようなことを、あの破綻の際に想ったのだ。そのような無能者には天才少女は眩しすぎた。 以下は、過日youtubeに全曲のPVをアップしたhikkiさんのそれを発表順に視聴・ブックマークしたものの整理である。 なお、紀里谷さんは素晴らしいディレクターであると想う。画の作り込みのみならず、編集も上手いし

    宇多田ヒカルPV難癖ブックマーク - 北小路ゲバ子の恋
  • CMの実務的な「パクリ」について - 北小路ゲバ子の恋

    のCMはなぜ海外CMおよびPVを「パクる」のかについて、実務的見地からの私見を述べる。(とはいえ、私は久しくCM制作から離れている。また、それを生業にしていた当時は、inferno*1の登場により、かわった場面転換が流行っていた時期である。前世紀から今世紀にかけての、すなわちカイル・クーパーのモーションタイポとミシェル・ゴンドリーの魔術に魅せられていた時代である。それはそれで特殊な時期なのかもしれない。というエクスキューズをあらかじめしておく。) [追記] 一般に「アイデア」という言葉を使いがちであるが、これは「表現」と「技法」とに区別できる。モーフィングなどの技法は広まるものである。それはソフトウェアや特機によるものであるのだから。その際に、「表現」までをも取り込んでしまうと問題になる。実務的には、コンテを通す過程において、技法の説明が表現の領域にい込んでしまうと … ということで

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