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民主主義に関するkobayasiyasumiのブックマーク (4)

  • 多数決至上主義〜なぜ少数派への妥協が嫌悪されるようになったのか〜 - Munchener Brucke

    民主主義とは、多数決を原則としながら、少数意見にも最大限配慮するものと、我々は中学校の公民の教科書で習ったはずだ。 ところが、昨今の政治はその通りにはなっていない。最近の政治は明らかに少数意見への配慮をネガティブなものと捉え、多数決のみを是としている。いったい、いつからそうなってしまったのか? 比較的機能していた、55年体制、 55年体勢は、今考えれば茶番であったが、曲りなりにも教科書通りの民主主義が機能していた。一時期を除いて自民党が衆参で多数派であったため、ことさら野党に妥協する必要はなかったが、たまには野党の修正要求を入れて顔を立てながら国会運営(当時は国対政治と批判されていたが)が行われていた。 また自民党は様々な意見、利害が集まった政党であり、その中での調整はある意味与野党間以上のものであった。総務会での全会一致を前提としていたため、党内で様々な妥協がはかられ、政策はえてして足し

    多数決至上主義〜なぜ少数派への妥協が嫌悪されるようになったのか〜 - Munchener Brucke
  • 2005-11-09

    先の日曜の朝、TBSのサンデーモーニング(でしたか、関口宏の番組)の終わりの方のコーナーで、一般市民へのインタビューという感じで初老の男性にマイクが向けられていました。聞くともなく聞いたその発言は、 日は民主主義だというけど、富める人とそうでもない人の差はあるんじゃないかな。 ちょっと唖然…。 民主主義って、貧富の格差を無くすことを義とするものでしたっけ? しかもこれはライブでのインタビューではありませんでしたから、これを選んで全国に放送したTBSの番組制作者側もそう思われているのでしょうか? 私は民主主義について、基的には「等価な一票(言い換えれば平等な個人)が意志の集約をして、多数の支持を得たものに(>多数であるという理由をもって)正当性を与えるシステム」だと捉えています。ここではプロトコルとして少数意見の表明の権利が得られ、言論による多数派形成の機会は与えられますが、最終的には

    2005-11-09
  • 強欲人工島「アップルトピア」 - ノボ村長の開拓日誌

    このタイトル、冗談ではないんです。「今から40年後、米サンフランシスコ沖の水平線に、いくつもの人工島が浮かんでいるかもしれない。その名前は『アップルトピア』・・・」先日、朝日新聞の一面に出ていました。 既成の政治や社会に愛想が尽きて、「吉里吉里国のような独立国を創れたらな〜」と夢想する日々。 それは、強欲マネー経済に嫌気がさして、さらにその親戚のような「原発」という妖怪に脅かされるトンデモ世界から距離を置きたい。人間性を取りもどしたいという想いからです。 ところがなんと、強欲マネー経済の主や僕(しもべ)たちまで、似たような「独立国」を考え始めたらしいんです。 しかも、競争に特化した人間型金銭計算アンドロイドのことですから実行性能も抜群。さっそく具体化に着手したらしい・・・ 私たちが最後の砦と考えていた「ローカルな独立社会」さえ、そのお株を奪い取っていくという強欲の醜悪さに、ほとほと人類に対

    強欲人工島「アップルトピア」 - ノボ村長の開拓日誌
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