陽明学(ようめいがく)とは、中国の明代に、王陽明がおこした儒教の一派で、孟子の性善説の系譜に連なる。陽明学という呼び名は明治日本以降広まったもので、それ以前は王学といっていた。また漢唐の訓詁学や清の考証学との違いを鮮明にするときは、(宋明)理学と呼び、同じ理学でも朱子学と区別する際には心学あるいは明学、陸王学ともいう。英語圏では朱子学とともに‘Neo-Confucianism’(新儒学)に分類される。 王陽明の思想は『伝習録』、『朱子晩年定論』、『大学問』にうかがうことができる。そしてその学問思想の特徴は以下のことばに凝縮されている。 1. 心即理 ― 陽明学の倫理学的側面を表すことば。「心即理」は陸象山が朱子の「性即理」の反措定として唱えた概念で、王陽明はそれを継承した。朱子学のテーゼ「性即理」では、心を「性」と「情」に分別する。「性」とは天から賦与された純粋な善性を、他方「情」とは感情
14.明治の新思想 ―儒学からキリスト教へ (1)日本の陽明学とキリスト教 江戸時代のわが国において、国教の位置を占めたのは儒学であった。それに対してキリスト教は、国禁として厳しく取り締まられていたことは誰でも知っている。しかしそのご禁制のキリスト教に対して、儒教の一派である陽明学が実は非常に類似する面が多くあり、しかもそのことを江戸時代の人々も気づいていたことについては、あまり知られていない。 それは明治の文明開化における新思想のさきがけとしてキリスト教が入ってきたとき、最初にキリスト教に強い関心を示した人々に、陽明学の人々が多かったことからも分かる。そのことは大橋健二「良心と至誠の精神史―日本陽明学の近現代」勉誠出版の、第3章明治のキリスト教に詳述されている。 同書から江戸時代のキリスト教と陽明学の関連に関する記述を見ると、近世日本における朱子学の開祖の林羅山が、陽明学における熊沢蕃山
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