「フルシチョフカ」と言えば、安価で簡単に建設できるパネルハウスだ。ソ連のフルシチョフ時代に、住宅問題を解決すべく大量に建てられ、ソビエト市民の大半がこれに住んでいた。その標準的な間取りを見てみよう。 リビングが非常に狭いことがはっきりとわかる。こういうアパートに4人家族が住むとすれば、2つの部屋が寝室兼リビングになり、夜、誰も寝ない部屋はキッチンだけだ。こんな間取りのせいで、ソ連の台所はそれ自体が社会・政治現象になった。 革命でトイレも共用に ロシア帝国には、こうした社会現象は存在しなかった。農民は、家の内部にあるペチカで食事を作ったから、独立したキッチンルームはない。裕福な農民、商人の家族や、都市に住む貴族は、通常、調理する場所として台所を持っていた。そして、台所には使用人が頻繁に行き来した。やがて、各アパートにキッチンが備わっている、大きな集合住宅が現れたが、そこでも人々は、キッチンで
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