「先生聞いて。うちね、津波のあと、荷物取りに家に帰ってタンス開けたら、中からカレイ(魚)がいっぱい出てきたんだよ。」 「それ聞いてうちも家戻ったら、家がなかったー。あはは。」 2011年3月、東日本大震災が発災して2週間ちょっと経った頃。私は認定特定非営利活動法人AMDAの緊急医療支援チームの一員として岩手県大槌町に入り、小児科医として仕事をしていました。冒頭のやりとりは、支援に入った避難所の大槌高校で仲良くなった高校生たちの言葉です。会話を聞いたときには戸惑いましたが、彼らは屈託のない笑顔で、周りの状況を笑い飛ばしていました。小学生の子どもたちも校庭を走り回り、その様子が避難所の雰囲気を一時的であれ、少し柔らかいものにしていたことを記憶しています。 非常事態のなか、子どもたちが笑顔で過ごせるようにと模索した日々から10年。しかし先日の福島県沖を震源とする地震は東日本大震災の余震で、震災が
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