2021年3月8日のブックマーク (2件)

  • 『京城の「中国人街」』

    中国人の職種としては、大工・石工・鍛冶、それに苦力が多かった。 1928年2月〜3月の『朝鮮新聞』は、新義州から陸路で朝鮮に入ってきたり、仁川から海路で芝罘・威海衛・大連などから中国人労働者が続々と朝鮮に来ていて、「中国人と朝鮮人間の労働問題」となる懸念があると報じている。 これら中国人の流入労働者のほとんどは、朝鮮内の各地方の労働現場へ向かったが、京城及びその近郊に流れ込む労働者も少なくなかった。1929年5月10日の『大阪朝日新聞』はこのように伝えている。 日による朝鮮総督府を通じた植民地統治と侵略政策が、社会経済的矛盾を生み出していたにもかかわらず、日のマスコミと統治機関は、廉価の労働力「支那人」と「朝鮮労働者」の対立が勝手に起きているがごとき認識であった。その対立において、日があたかも仲裁者・調停者のごとく振舞うことで、さらなる膨張と侵略に利用しようとさえした。 中国東北部で

    『京城の「中国人街」』
  • 金皇寺から古文書300点 : ニュース : 島根 : 地域

    石見銀山遺跡 毛利氏関連書状5点も 世界遺産・石見銀山遺跡近くに立つ古刹(こさつ)、浄土宗「金皇(こんこう)寺」(大田市仁摩町)から、中世~近代の古文書約300点が見つかった。なかには、同銀山を支配した戦国大名・毛利氏に関する書状5点も確認。同氏による支配の様子や変遷がうかがえる史料といい、県教育委員会は「これまで分かっていなかった戦国時代の銀山周辺に光を当てる貴重な存在」と強調する。(中村申平) 1570年創建と伝わる金皇寺は、住職が2013年に死去した後、後継者がおらず宗教活動を停止。浄土宗や檀家(だんか)らが、寺を運営する宗教法人の解散手続きを進めており、今回は、寺に保管されている記録などを整理する中で発見された。 古文書の大半は寺の帳簿や記録、檀家から寄付された土地の証文類で、注目は1572年の「毛利輝元安堵(あんど)状」(縦27・1センチ、横38・6センチ)。確認された史料で最も

    金皇寺から古文書300点 : ニュース : 島根 : 地域