カザフ・ソビエト社会主義共和国は、ソ連にとっては、戦時においても平時においても頼れる「銃後」だった。まさにここで、ソ連の産業のポテンシャルが顕在化し、核実験が行われ、世界初の宇宙基地が建設された。 ロシアは、18世紀初めに現カザフスタンの草原に達した。1730年代に、カザフ・ハン国が分裂した部族連合、いわゆる「小ジュズ」と「中ジュズ」が、自らロシアの支配下に入る。好戦的な遊牧帝国「ジュンガル」からの保護を求めてだった。一方、「大ジュズ」については、これを服属させるために、ロシアは、コーカンド・ハン国と戦わなければならなかったが、いずれをも19世紀後半に併合することに成功する。両者とも、1917年のロシア帝国崩壊にいたるまで、帝国の版図に入っていた。 ソビエト政権の最初の数年間、カザフ人が住んでいた領域は、何回も大規模な国境の変更を経た。この民族の自治体は、その名称、境界、首都がしょっちゅう