その日もわたしは新聞の死亡者リストを長めながら、なぜこの中に私がいないのだろうと不思議がっていた。世の中の人々は今日もいっぱいしんでいる。なぜ私は選ばれなかったのだろう。コーヒーに砂糖をいれながら、私は暗澹たる気分であった。世界は損をしている。他の人よりも何よりも、私は死ぬべきである。自意識過剰であるということは私も分かっていた。 テレビのニュースが流れている。テレビ番組というものは得てして流れているものである。一時停止ボタンで止める気にもなれず、私はじりじりとテレビを流しながら生きる。死ぬことは果てしなく難しい。痛いし怖いのは嫌なのだ。痛いし怖いであろう未来に怯えたとしても、逃げ道は必ず痛く怖いのだ。私は快楽主義者である。一瞬の快楽が持続すればいいと願い、その他は恐ろしいだけだ。 横断歩道が青になるまでに切り刻まれる思いがする。 私は神がいるのなら、それが目の前に姿を表したのなら、土下座