押し寄せる通勤客をどうするか、一方で通勤需要を伸ばすにはどうするか――東京圏の鉄道は、この相矛盾する課題に対し、さまざまな戦略を取ってきた。 「戦略」とは、「戦」の字が入っている通り、もともと軍事関連で使われていた言葉である。現代では企業活動をはじめ、さまざまな分野で「戦略」という言葉が使われるものの、それだけ激しい競争社会になっているともいえる。 もちろん、鉄道も同様である。その中で東京圏の鉄道は、常在戦場(じょうざいせんじょう)ともいっていい状況にあった。私鉄と国鉄、私鉄同士の争い、一方で多数の通勤客。過酷な環境にどう立ち向かうかが、鉄道に課せられた使命だった。 江戸から東京へと変わっていく時代、東京の都市規模は現在よりも小さかった。1878年には東京の中心部を15の「区」に分け、その中には新宿や品川は含まれていなかった。89年にはそれらが合わさって「市」となる。 72年、新橋から横浜
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