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2011年4月21日のブックマーク (2件)

  • 原子力資料情報室(CNIC) - Citizens' Nuclear Information Center

    2024年能登半島地震についての情報リスト 2024年能登半島地震と原発への影響に関して情報リストを掲載しています。ご活用ください。 3月27日(水)より連続ウェビナー「能登半島地震からかんがえる原発の安全性」(https://cnic.jp/50799)を開催します。 最近の原子力資料情報室声明・コメント 2024/5/1 【声明】玄海町への国の文献調査申し入れに断固抗議する 2024/3/11 【声明】13年を経て、地震・津波・放射能 2024/2/22 【提言】「声明」の呼びかけ人を参考人として地層処分技術WGの議論に参加させよ 2024/3/4 ウェビナー「地層処分技術WGへの提言 -より公正で科学的な議論のために-」を開催・録画を公開しました。 2023/12/27 【声明】柏崎刈羽原発「運転禁止」解除、規制委に判断する資格があるのか 2023/12/21 【声明】条例違反にも悪

    原子力資料情報室(CNIC) - Citizens' Nuclear Information Center
    koinobori
    koinobori 2011/04/21
    全国的な反原発運動の嚆矢の一
  • 「原子力の安全観」に関する社会心理史的分析 ――原子力安全神話の形成と崩壊――

    第3章 「原子力の安全観」に関する社会心理史的分析 ――原子力安全神話の形成と崩壊―― 章の要旨は以下の通りである。 ・戦後から 1970 年代まで、原子力への不安は原爆のイメージと密接に関係するものだったが、にもかかわらず、 大勢は原子力に反対というわけではなく、むしろ「夢のエネルギー」の側面が強かった。 ・当初の東海村の立地状況としては、原子力発電は「安全」だったのではなく、 「安全でなくては困る」というも のであった。住民もそう考え、また原子力関係者もそれに沿うように事故時の想定をほとんどしなかった。こ れはスリーマイルまで続く。 ・また、当初の「安全論争」 「反対運動」とはいっても立地漁業者・科学者など関与の高い人であった。しかも原 発反対運動は当初からではなく契機は原子力潜水艦事故であること、反対運動のネットワーク化はむつ事故で はじまること、また人々の総意としての社会心

    koinobori
    koinobori 2011/04/21
    戦後の原子力に対する世論の変遷について。長いけれど、戦後どういう雰囲気の中で原子力が受け入れられていったかがかなり興味深い。