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  • 水野忠邦「天保の改革」は最初から残念な結果が見えていた? - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    やる気があるのは結構なことです。 が、能力とかみ合っていないと空回りして、周囲に迷惑をかけることも多く、これに反骨心なんぞが加わった日には目も当てられませんよね。 現代人だけでなく、江戸時代にもそんなタイプと思しき人がおりました。 寛政六年(1851年)6月23日に亡くなった水野忠邦です。 「天保の改革」を行ったことで有名な人ですね。 江戸政権下では由緒正しき譜代大名だったが この人は家康の母・於大の方のお兄さんの血筋で、数ある水野家の中でも由緒正しい家柄でした。 当時の水野家は唐津藩(現・佐賀県)を所領としていましたが、忠邦は18歳で家督を継いだ後、幕府の中心で働きたいと考え、いわゆる「黄金色のおまんじゅう」(古い)を駆使し、どうにか江戸城・奏者番(大名と将軍の間の取り次ぎ役)の職をゲット。 しかし、この役職ではとても幕閣とは言えません。さらに出世したいと考えた忠邦は、家の事情に大きな障

    水野忠邦「天保の改革」は最初から残念な結果が見えていた? - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
    kojitaken
    kojitaken 2016/10/15
    この強烈な権力欲といい、唐津から浜松への「国替え」といい、庶民に対する苛政といい、なるほど小池百合子は確かに「水野忠邦の再来」かもね
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