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ドイツに関するkokadaのブックマーク (9)

  • 「実力主義なら面倒な人間関係は必要ない」はむしろ逆で、ドイツでは出世にコネ必須。

    ドイツ移住してからもうだいぶ経つが、実際に暮らしてみて、イメージとはちがうことが多々あった。 ドイツ人だって「かわいいね」とお世辞をいうし、地域によってはビールよりワインが好まれるし、みんなそこまで時間に正確なわけでもない。 そんななかで一番驚いたのが、ドイツ人がバリバリ残業して、そこそこ頻繁に職場の飲み会に顔を出していることだ。 え、ドイツ人って定時に帰るんじゃないの? 職場の人間関係はドライで、プライベートは別なんじゃないの? 最初はびっくりしたが、だんだんと、「実力主義になればなるほど飲み会が大事になる」という、イメージとは真逆の現実が見えてきた。 イメージとちがう!定時に帰るドライなドイツ人はどこ? 少し前、こんなツイートがバズっていた。 アメリカの会社で生き残る方法としては朝ちょっと早めに行ったり、定時の後他のチームメイトに手伝えることありませんかと声掛けして確認し無償残業した

    「実力主義なら面倒な人間関係は必要ない」はむしろ逆で、ドイツでは出世にコネ必須。
  • ナチス将校の軍服を拾った若者が独裁者に変貌…実話を基にした衝撃作2月公開|シネマトゥデイ

    映画『ちいさな独裁者』より - (c) 2017 - Filmgalerie 451, Alfama Films, Opus Film 第2次世界大戦末期の衝撃的な実話を基にしたドイツ映画『ちいさな独裁者』(英題:The Captain)が2019年2月8日より日公開されることが決まった。偶然の成り行きと言葉巧みなウソによってナチス将校の威光を手に入れた若者が、ヒトラーをも思わせる怪物的な独裁者に変貌していくさまが描かれている。 舞台は、敗色濃厚で兵士の軍規違反が相次いでいた1945年4月のドイツ。命からがら部隊を脱走した青年ヘロルトは、打ち捨てられた車両の中で軍服を発見し、それを身にまとって大尉に成りすますことに。道中出会った兵士たちを服従させることに味を占めたヘロルトは、言葉巧みに親衛隊のリーダーとなり、傲慢な振る舞いをエスカレートさせて大量殺りくへと暴走を始める……。 人間を簡単に

    ナチス将校の軍服を拾った若者が独裁者に変貌…実話を基にした衝撃作2月公開|シネマトゥデイ
  • 『1920年代 初期 創世記のデルトリンテム GENESIS OLD DELTRINTEM』

    BLRM ブラッキー リッチモア ~ Be Lucky Rich More!! のブログギター、双眼鏡、オーディオ、 趣味関連の記事を書いていく予定です。 皆さんが、より幸運に恵まれ、より豊かになりますように。。。 愛念の願いを込めて、Be Lucky Rich More です(^^) 私自身が、ワクワクドキドキ出来る事だけを記事にします。 〜 SINCE 2015.4.8 デルトリンテムは、1920年に世に出された訳だが、 私の手元には、その 1920年代初期の デルトリンテムが、数台ある。 いわゆる、創生期のデルトリンテムである。 デルトリンテム・ジェネシス だ。 1925年製 DELTRINTEM  GENESIS 私が所有している、この時代のデルトリンテムは、 1924年~1927年くらいまでのデルトリンテムである。 (1930年以降は、別扱いとする。) これ以上、積むと危険なので

    『1920年代 初期 創世記のデルトリンテム GENESIS OLD DELTRINTEM』
  • 選手宣誓の右手を挙げるポーズはナチス由来というデマ - chBBplus’s diary

    高校野球などでお馴染みの選手宣誓のポーズ。 これがナチスドイツ由来だから辞めるべきという主張があるのだそうです。 こちらが今回問題提起しているアナウンサーでタレントのサッシャさんのブログ。 lineblog.me ナチスドイツが国威高揚に利用したベルリンオリンピックを由来としているのでやめるべきではないかとのご意見です。 日の様々な場所で結構日常的に行われている 「選手宣誓の時の右手を上げるポーズ」 僕がドイツから日に来た小学校4年生の時 初めて日式の学校の運動会に参加して (正確にはフランクフルトの日人学校補習校で運動会は経験済み) 初めて選手宣誓のポーズを見て内心ぶっ飛びました だってこのポーズ…ナチス式敬礼のポーズなんです… (中略) 大人になって調べてみると…このポーズ 当にナチス式敬礼だったのです! というのも選手宣誓のこのしきたりが 日に伝わったのが 1936年のベ

    選手宣誓の右手を挙げるポーズはナチス由来というデマ - chBBplus’s diary
  • イジメはあるが祝福する文化のない日本 - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

    インフルエンザにかかったらしいので、家でフラフラとしながらネットを見ておりましたら、峯岸みなみ丸刈り謝罪 という記事が目につきました。私はAKBは詳しくないので、ことの詳細は良くわかりませんが、グループの決まりを破って男性とお泊まり旅行に行ってしまったので謝罪するために丸刈りになった、ということだそうであります。 これを見ていて、なんだかいや〜な感じがしました。たとえ綿密な計算の上での演出だったとしても、越えては行けない線を越えてしまった気がします。 まず始めに、これを見みて、イギリスの歴史番組で繰り返し放送される「第二次世界大戦後にナチに協力した、ドイツ兵と恋人関係にあった、という理由で公衆の面前で丸刈りにされ、屈辱を与えられた女性達を思い浮かべたからです。男性達は丸刈りにされませんでしたが、女性達はされました。それが最大の屈辱の一つだったからです。ナチに協力したわけではなく、自分や家族

  • 『ヨーロッパ労働運動の悲劇』を復刊して欲しい - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    昨日のエントリでも引用したシュトルムタールの『ヨーロッパ労働運動の悲劇』は、日では1958年に岩波書店から岩波現代叢書の一環として、神川信彦・神谷不二両氏の翻訳により2冊組で刊行されています。 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E5%8A%B4%E5%83%8D%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%80%88%E7%AC%AC1%E3%80%89%E2%80%951918-1939%E5%B9%B4-1958%E5%B9%B4-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%A2%E6%9B%B8-A-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%

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  • ドイツ企業の「くすぐり健康法」 | 娘通信♪

    ドイツ「くすぐり健康法」の顛末 ドイツ、ベルリン在住の会社経営者、 ハンス・エアハルト氏(39)は 「くすぐり健康法」を開発し、心の病の予防に貢献した。 彼の会社はコンピューターソフトを開発しているが、 技術者たちは厳しい納期に追われるせいか、 毎年9%人の割合で病を発症。 危機意識を感じたエアハルト氏は、 その防止策のために図書館で専門書を読み漁り、 「笑いは心の状態を最もリラックスさせる」 という研究データを知る。 そこで社員を笑わせようと、 休憩時間に喜劇の動画を各自のパソコンに配信した。 が、笑う社員は少なかった。 そこで苦肉の策として、社員同士をペアにし、 互いの脇のしたや首、腰などを鳥の羽で刺激し合って 30秒間大笑いさせてみたところ、 翌年から欝病や不眠症の発生頻度が半減したという。 だが、1年を過ぎると、 くすぐられることに「免疫」ができてしまい、 効果は期待できなくな

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  • 「10時開店」のデパートが時間通り客を迎えるのは「過剰品質」か

    労働政策研究・研修機構が発行する「Business Labor Trend」2011年5月号に、「ホワイトカラーの労働時間を考える―効率的な働き方を求めて―」と題されたシンポジウムの様子が収められている。 企業の人事担当者や大学の研究者、行政担当者6人が、「労働時間の適正化」や「ホワイトカラーの効率的な働き方」などについてディスカッションを行っている。 ドイツでは「店員に怒られてしまう」 シンポジウムでは、大手メーカーから「長時間残業してもピンピンしている者もいれば、そうでない者もいる」という理由で、適正な労働時間の水準を一律に決めにくいという意見が出された。 一方、武陽ガス(東京・福生)の総務課長、小澤修氏によると、同社では 「業務は所定労働時間内に終わらせるのが原則」 という方針を決めており、これを社員に守らせる取り組みを行っているという。 以前の残業時間は、平均月28時間程度。これを

    「10時開店」のデパートが時間通り客を迎えるのは「過剰品質」か
  • ロシア、英国を支配した勤勉なドイツ人 ジャガイモの作付けは大帝国の礎を築く | JBpress (ジェイビープレス)

    既に「オーストリア継承戦争」でチェコ・ポーランド国境地 帯「シュレージエン」地域を占領していたプロイセンだったが、1756年10月、フリードリヒ2世ははザクセン・オーストリア連合軍を先制攻撃によって撃破する。 ロボジッツの戦いと呼ばれる記念碑的な勝利だった。「七年戦争」の勃発である。 欧州大連合軍は人口にして8000万余、それに対してプロイセンはわずか400万程度の人口で、巨象と蟻の戦いのような七年戦争は、戦略の才に富む小国プロイセンが幸先のいいスタートを切った。 だが、しょせんは小国のこと、奇襲はいつまでもうまくいかない。そのまま南進を続けたプロイセンはチェコのプラハを包囲するが、オーストリア軍に撃破されてしまう。 さらに西からはフランス軍が応援に駆けつけ、プロイセンは窮地に立たされることとなる。 欧州でのプロイセンの味方は唯一つ、フランスと距離が近いハノーファーだけだった。だがこれには

    ロシア、英国を支配した勤勉なドイツ人 ジャガイモの作付けは大帝国の礎を築く | JBpress (ジェイビープレス)
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