質問第二四号 道路特定財源の使途の在り方に関する質問主意書 右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。 平成十六年十二月二日 参議院議長 扇 千 景 殿 道路特定財源の使途の在り方に関する質問主意書 自動車重量税をはじめとする、いわゆる道路特定財源については、国民に対して法律上又は事実上、道路整備のために課税される税目として位置付けられており、このような目的税は、受益と負担の明確化を図ることにより課税の公平性を担保する税目と考えられている。 しかし、道路特定財源については、その税収の全額が道路整備特別会計に繰り入れられるわけではないばかりか、道路整備特別会計の歳出自体、道路整備事業に要する経費とは思われないものにまで支出されている。 このような道路特定財源の使途は、国民の税制に対する信頼と税制の公平性を揺るがすおそれがある。 内閣は、憲法第
JBC事務局員に抱えられながら会見場を後にする亀田大毅(中央)=17日午後5時15分、文京区後楽のJBC事務局(撮影・古厩正樹) 亀田史郎氏らとの一問一答は次の通り 《冒頭、司会者が「大毅選手は精神的に参っており、会見は手短に、すぐ退席させてもらう」と発言》 −−今日の会見を行うことを決めるに至った気持ちを 金平桂一郎氏「昨日、亀田家から『JBCにおうかがいして、おわび申し上げたい』ということだったので、参上した。反省しているので、ご斟酌(しんしゃく)くださるよう、お願いします」 亀田史郎氏「いろいろと、ご迷惑かけて申し訳ありませんでした。これから一歩一歩やっていくので、今後ともよろしくお願いします」 亀田大毅氏「…」《関係者に介添えされ、無言のまま会見場を去る。》 −−大毅選手からコメントがありませんでしたが 史郎氏「家でもずっと、あの状態。とりあえず昨日は自分で丸刈りして、精いっぱいで
さきほど、最終ののぞみ号で大阪に帰ってまいりました。ありゃ、もう「先ほど」じゃなくなってるなあ。 もちろん、光市の母子殺害事件の取材に行っておりました。で、今回のエントリは終わったばかりの第10回公判について記すこととします。 もともと今回は、前回のエントリの続きである第3回公判のことを書くつもりでした。でも、やっぱり新しい話を書きたくなるんですよね。特に、きょう(ではなく、すでに昨日ですね)の公判にはたいへん心動かされるものがあったもので。 こうなるの分かってたから、今回の集中審理が始まるまでに過去分を全部書いときたかったんだよなあ。 ただ、この事件について少しでも理解を深めていただくためには、審理の順を追って紹介していくべきだろうという考えも変わっていません。ですから今後、第3回公判からずーっと順番に書いていく作業も続けていくつもりです。 第10回公判については、今回のエントリは暫定と
慰安婦問題と日本の対応について考えているうちに、自分の過去記事を紹介したくなりました。平成7年(1995年)の6月に上下にわけて掲載されたものです。当時、私は戦没者遺族取材班の一員として、1年間弱の連載企画を担当し、延べ約100人の遺族を取材しました。 記事を書きながら、幾度も涙を流したのは、いま振り返ってもあのときだけだったような気がします。私が取材できたのは、当然ながら一人ひとり違う遺族の体験のごくごく一部でしたが、とても貴重な経験でした。きょうは連載当時、26本書いた記事のうちの一つをそのまま掲載します。あえて解説・感想は記しません。 【声なき声語り継ぎ】戦没者遺族の50年 第5部 抗議の自殺 今にも泣き出しそうな曇り空のもと、埼玉県大宮市の公園墓地「青葉園」の一角に立つ青葉地蔵尊で今月二十一日、約六十人の有志が集まり、自ら命を絶った従軍看護婦二十二人の墓前供養が行われた。 左手
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