2020年4月26日のブックマーク (3件)

  • 小噺「パチンコ」|文枝の小噺

    息子 「ただいまー」 母 「お帰り、マスク外して、 ここに入れてちょうだい、 はい新しいマスク洗っておいたから、 とりあえず、その辺のもの、何も触らないで、消毒して、手洗いして、うがいして、 さあさ、早く着替えて、明日は?」 息子 「明日は、在宅でテレワークやから」 母 「良かった、あんたが外へ行ったら心配で 外でいろんな人に会ってるから、 絶対人から離れておいてや。 もしも、この家で、誰かが感染したら、 うちにはおじいさん、おばあさん、それにあんたの妹もいるし、どう隔離して生活するか大変やがな」 息子 「ほんまやな おふくろ」 母 「なんや?」 息子 「一体いつになったら、おさまるのやろな?」 母 「私なんか、3日に一度、買い物以外はどこにもでてないし、ずっと家の中にいるのも疲れるけど我慢してるねんで、 そやのに、1人我が家で困った人がいるねん」 息子 「親父か」 母 「そうやねん、いく

    小噺「パチンコ」|文枝の小噺
    konishika
    konishika 2020/04/26
  • 福島県立大野病院事件 - Wikipedia

    事件当時「福島県立大野病院」は、病床数約150床程度で地域医療病院として位置し、標榜科は「内科」「外科」「産婦人科」「整形外科」「麻酔科」であった。産婦人科は常勤医師1人体制であった。 輸血製剤は病院内に常備しておらず、輸血対応については、必要時に約50km離れた「福島県いわき赤十字血液センター」から1時間以上かけて輸送されていた。 件医師は、福島県立医科大学産婦人科の医局に所属し、事件と同じ2004年4月に福島県立大野病院に赴任してきており、事件当時の経験年数は8年7か月であった。 事件当時29歳の妊婦は、3年前に第一子を「双葉厚生病院」で帝王切開にて出産している。2004年5月に福島県立大野病院で第二子妊娠を診断され、以後同院に通院管理となっていた。同年10月の超音波検査で「全前置胎盤」と診断。同年11月に切迫早産もあり同院に入院管理となった。手術6日前に件医師は妊婦と夫に対して、

    福島県立大野病院事件 - Wikipedia
    konishika
    konishika 2020/04/26
    周産期医療を崩壊させた事件なので、テストに出ますよ。
  • 震災で津波で家族が流されたんだけど

    今のコロナでみんなの心がぎすぎすしていたり、誰かが誰かを叩いていたり、悲鳴を上げているのを見ても、なんだけ遠い世界の話のように見える 正直、コロナは怖いのは分かるけれど、目の前で親が流されていったり、住んでいたところの空気がいきなり放射能に汚染されて逃げるしかないとか、そんなのに比べれば遙かにマシじゃないかと思う 特に東京の人は一番感染者が多いから、恐ろしいのもわかるけれど、まだいいよ。真綿でじわじわと首を絞められるようだ、というけれど、突然上から爆弾が降ってきて何もかもなくなってしまって、後悔後悔で毎日を生きているより、よほどいいよ 俺は未だにあの時の光景を夢に見る 走って逃げて、高台にたどり着く目の前で、知り合いのおじいちゃんが流されて、母親の手を握ったけど、離れてしまって アレは地獄だ、アレこそ地獄だった コロナがいつか落ち着いた日に、経済活動は止まっているかもしれないし、仕事はなく

    震災で津波で家族が流されたんだけど
    konishika
    konishika 2020/04/26
    家族が死なないように家にいることが、彼の思いに応えることなんだと思う