タグ

ブックマーク / shinnji28.hatenablog.com (2)

  • 電通社員の自死とその労災認定に寄せて - 松宮慎治の憂鬱

    標記のニュースを拝見して,気分が沈んでいた。 この理由はなんとなく自分でもわかっていて,亡くなった方のツイッターを見てしまったからだろう。 また,自分のフォロワーは教育関係者が多いので,議論というか,この件に関する意見交換が結構なされて,深く考え込んでしまったということもある。 ツイッターというのは,いわゆる「社畜アカウント」的なつぶやきが結構流れるし,時には自分自身がしていることもある。 フェイスブックと違ってそういったネガティブな情報も流れやすいのがツイッターである。 件の方は,長時間労働に加えて,パワハラ・セクハラ,いびりを受け,ほとんど人間としての尊厳を失っていたと推量できる。 そのような状態に陥ると,退職・休職,バックれるといった判断自体が困難になってしまう。 したがって,誰か第三者が介入して,無理やり休ませたり,退職させたりする必要がある。 それをすべきなのは第一には上司や同僚

    電通社員の自死とその労災認定に寄せて - 松宮慎治の憂鬱
  • 仕事の力に個人差は当然あるが、それは各々の個性(特徴)と不可分な関係にある - 松宮慎治の憂鬱

    「あいつはできない」論について 自分以外の誰かを「仕事ができない」と断じることに以前から疑問をもっている。 まさしくそれは「断じる」ということだからだ。 誰かをそんな風に評価できるほど,自分は立派ではないと思っている。 「ウソをついたことのない人だけが石を投げなさい」状態である。 一方,個人の力に差があるということもまた事実ではあると考える。 というのも,「できない」ということは言えずとも,「できる」ことはすぐに分かってしまうからだ。 個人の力に差がないのであれば,「できる」ことも来はわからないはずである。 しかしながら,「できる」かどうかというのは,少しでも一緒に仕事をすればわかってしまうのである。 「できる」「できない」は環境要因も大きいという問題 ところで,このように「できる」「できない」を考えるとき,その人が得意なことを発揮しうるか,という環境要因も重要になる。 すなわち, ベー

    仕事の力に個人差は当然あるが、それは各々の個性(特徴)と不可分な関係にある - 松宮慎治の憂鬱
  • 1