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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/nand (6)

  • 子供の可愛い漫画三選 - デス日本研究者の不倶戴天blog

    子供の可愛い季節がやってまいりました。今日の漫画三選は、「可愛い子供が出てくる漫画」で。ヨルムンガンド 1 (1) (サンデーGXコミックス)作者: 高橋慶太郎出版社/メーカー: 小学館発売日: 2006/11/17メディア: コミックまずは少年兵のヨナくん。少年兵といえば、この世で二番目に怖いものと相場が決まっておりまして、いつまでも少年兵の心を失わない大人がいたらとっても厭ですねというのが私の持論ですが、『Ordinary±』で可愛いマセガキを描いた作者の描く少年兵はやっぱり可愛い。私は、2巻の「まぁまぁ、面白いかもねっ」で完全にやられました。「バランスの悪いスレ方」は、子供だけが持っている可愛らしさの要です。子供の特産品です。大人になると、否応なく全体的に満遍なく世間ズレしてしまいますから、ギャップのもたらす可愛さとはおおむねバイバイです。そこで、ギャップと言えば少年兵ですよ。少年な

  • 第二十九訓・アナロジー抜きで思考するなんて人類には百年早い - デス日本研究者の不倶戴天blog

    第二十九訓・アナロジー抜きで思考するなんて人類には百年早い 日いじめは他人の犯罪ではない(簡略版) 原因と責任 社会に論理を。せめてこれくらいは。法の論理の由って立つ縁を。 徳保さんが腰を入れている議論を見るたびに、交通整理の人が車に撥ね飛ばされている光景が頭をよぎる。日にはアナーキーな人が多いのか。 交通整理をする人が見ているのは車の流れだが、ドライバーは自分の車が「一台の車」でしかないことを忘れて交通整理の手際に首を傾げ苛つき、たまには撥ねる。恐ろしい社会だ。 そして更に恐ろしいことに、徳保さんが捌こうとしている対象は、一つの議論そのものではない。徳保さんにとっては一つの議論全体が一台の車でしかない。恐ろしいことだ。 こうなるともう、何が氏をそうさせるのか、という怪談もしくは因縁咄になってくるが、「徳保さんはロックなんだ!」と嬉しそうに膝を叩いているのが今のわたくしである。

  • 文科系はもっとモテるべき、或いはエビちゃん一本釣りへの助走 - デス日本研究者の不倶戴天blog

    男天狗「エビちゃん」が苦手な理由/文科系女子が好きな理由寡聞にして「エビちゃん」を存じ上げないのだが、オーライ解った。ああいう女子らか。彼女らとは良好な付き合いをしていたように記憶している。寛容な子が多かった。もちろん俺なんかとは共通点が人間だが、「奇貨でーす」という姿勢で入っていけば、それなりに周りをうろちょろすることも許してくれる。六割のファックで笑ってもらう力加減は、彼女たちとの会話で身に付けた。そんな時、「君はいつも適当に喋ってるよね」と厭なことを指摘してくるのは紛れ込んだ文科系女子だった。文科系女子の印象を一言で吐くと、「スタート地点をゴールだと思い込んでしまった文科系女子」だ。未だにスタート地点を離れていない文科系女子に再会するたび、暗澹たる。書物から得たものか、それとも「自分の言葉」なのか、それはどちらでも良い。少なくとも、私には関係が無い。急所はこうだ。文科系女子には、関係

  • ルールを決めると危険な人達 - デス日本研究者の不倶戴天blog

    俺vs.倫理一般的なコミュニケーション作法に順応する時に思うことやは〜ん。身におぼえがありすぎるぜ。昔からルールを意識すると破りたくなる病気が私にはあって、これは自分で決めたルールでもそう。肉親が地に座してる時、「ここで下段(ぴったり頭部です)蹴ったらえらいことになるんだろうな、絶対そんなことはしちゃいけないな」と思ったとたんに自分の足がピクピクいってて怖かった。なんか、「ここで蹴ったら逆に新しい」とか思っちゃうのがいけないんだろうな。世の中には人が二種類いて、ルールを決めると危険な人、ルールを決めないと危険な人、で合計二種類。前者の方が数が少ないからルールを決めておこうということになったんだろうけど、まあしょうがないよね。あと、あんまり関係ないかもしれないけど、周りの人に嫌われがちな人は、普段からあいさつをきちんとしたり、季節の贈り物をまめにしておいた方がいいと思うよ。どの道いつかは全員

  • 大宇宙ファック劇場 - デス日本研究者の不倶戴天blog

    デスbloggerかく語りき「書いた文章」が「書きたかった文章」でないからこそ面白いと思うんだけどどう見てもbloggerの台詞です。どこから来るんでしょうね?『分裂勘違い君劇場 』より便宜上、「大宇宙の外側」と呼んでいます。橋治氏の言う「大論理」に近いものがあるかもしれません。優れたbloggerは、どっかしらオカルト入ってますね。逆説的ですが、最大のライバルは、ランダムに文を綴る機械です。俺も日で、たくさんの記事を書いてきましたが、どれ一つとして可愛くない子はいません。ここでしか生きていけないような子もいません。俺の書いた記事、俺に著作権とやらがあるそうな記事は、どこをとっても転載歓迎。改変自由。全てあなたにお預けいたします。赤子は勝手に生まれるものです。

  • 努力と差別 - デス日本研究者の不倶戴天blog

    人契機やる気の有無による差別なんで「非モテ」論争は面白いか私が以下の記事を投稿するきっかけになったのは以上の記事だが、他人の文脈で相撲をとる気は毛頭無いので比較検討差分の管理は読者に任せ、私は私であることにする。blogの読者は頭を使え、blogの作者は眼を使え。共に揃ってbloggerである。このライト差別がぬるい有史以来かどうかは知らないが、今や差別は娯楽になったと私は思う。「もっと気軽に」を求め続けて、差別は益々娯楽になった。今楽しめる差別の両横綱は、「「やる気の無い者」に対する差別」と「「人付き合いが下手な者」に対する差別」である。この二つの差別が盛り上がるであろう事は十年前から予測されていたが、その次に何が来るのかは十年間語られなかった。様々な差別が卒業していき最後にこの二つが残った、と言っても過言には及ばぬ究極の差別である。「やる気」が「人付き合い」の一環でもあるような環境

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