去年の紅白をきっかけに、最近やたらと有線で流れるようになった「千の風になって」とかいう歌が嫌だ。 自分の身近な肉親の死に方やその心情を考えた時、ここで歌われている「千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています」だの「冬はダイヤのように きらめく雪になる」だのといった絵ヅラが、文字通りマンガにしか感じられない。 自分の身近な人間が、ありふれたつまらない人生を、人に気にされることも無いすすけた場所で、孤独に生き孤独に死んだのだとしても、だからこそそうした退屈さやつまらなさを彼のただひとつの真実として受け止め、覚えていたいと自分は思う。 自分達は、ここで歌われているような美しく大きな流れの中で、それを自分の世界だと肌で感じるような生き方などしていない。とっくの昔に根無し草だ。 だから、『やくざの墓場 くちなしの花』の「うちは日本人でもあらへん。朝鮮人でもあらへん。ハーフでもあらへん。うちは