カーリング女子の日本代表として02年ソルトレークシティー五輪、06年トリノ五輪で活躍した小笠原(旧姓小野寺)歩さん(31)が、今季中にも現役復帰することが6日、分かった。トリノ五輪出場後、結婚を機に第一線から退いたが、年内にも北海道カーリング協会に選手登録する予定。すでに元五輪代表らメンバー3人を集め、新チームを結成する見込みで、14年ソチ五輪の日本代表争いに名乗りを上げる。 群雄割拠の日本女子カーリング界に、元祖「カー娘」が参戦する。小笠原さんは06年の引退後、カーリングの普及を目的にミックスダブルスの大会に出場するなど、趣味程度の活動を続けてきた。同時に現役復帰への意欲を度々、口にしていたが、競技に専念する環境が整ったこともあり、4年後のソチ五輪出場を見据えて本格的な復帰を決意した。 14年ソチ五輪を目指すためには、日本選手権など主要大会に参加して実績を積み上げなければならず、遅くても
米海軍・ペリー艦隊の帆船が幕末、横須賀沖で座礁し、海に大量の砲弾を投げ捨てた――。 神奈川県小田原市国府津の郷土史家、奥津弘高さん(59)が、米ワシントンの国立公文書館に残る同艦隊の航海日誌などに、こんな記述があるのを確認した。 船を軽くして離礁するための苦肉の策とみられ、専門家は「日本船に助けられては威厳を損なうと判断したのでは」と分析している。 同公文書館に残る航海日誌に、同艦隊の帆船マセドニアン号が1854年2月11日(嘉永7年1月14日)午後1時40分に座礁し、翌12日、船員が「砲弾を投げ捨てた」との記録がある。また、ニューヨーク公共図書館にある同艦隊の僚船の船員日記にも、座礁したマ号から「数百発の砲弾が海に投げ捨てられた」と記されていた。 艦隊を率いるペリーにとって、当時、開国を果たせるかどうかの重要な局面だった。研究者の間では、マ号は僚船の助けを借りて座礁を切り抜けたことになっ
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