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2024年2月26日のブックマーク (2件)

  • 昭和30年代は髪を5日に1回しか洗わないと聞いて驚いたが、ドライヤーも暖房も無い時代に髪を濡らすのは高リスクだと気づいた

    由 @chiyuri1022 こないだ「昭和30年代は洗髪は5日に1回」って知って驚いたんだけど 祖母の話を聞いてちょっと納得した 祖母は「髪を洗って凍死した人がいる」「なるべく髪を濡らすのは避けろ」と言われ育ったらしい 確かにタオルないドライヤーない暖房ない湯冷めしまくりの時代、髪を濡らすのって高リスクだったんだ 2024-02-25 14:47:45 由 @chiyuri1022 「髪洗って死んだ」はほんとか分からないけど、髪を濡らしっぱなしにして身体を壊した人は実際よく出たんだろうし「やたら髪を洗うな濡らすな」と経験から学習したんだな それから家風呂の設備が整うにつれてシャンプーの花王などが「回数増やしましょう!」呼びかけて月1回→5日1回→1日1回になったと 2024-02-25 15:20:26

    昭和30年代は髪を5日に1回しか洗わないと聞いて驚いたが、ドライヤーも暖房も無い時代に髪を濡らすのは高リスクだと気づいた
    kosui
    kosui 2024/02/26
    シャワーがないと洗髪も大変というコメントに苦笑
  • 第16回 秩父宮ラグビー場|鹿島の軌跡|鹿島建設株式会社

    第16回 秩父宮ラグビー場 ここに一冊の古いアルバムがある。 表紙を開くと、THE CONSTRUCTION WORK OF RUGBY STADIUM,TOKYOと英語で書かれている。工事概要も、資材も、人員配置もすべて英語。日が連合国の占領下にあった昭和22年、秩父宮ラグビー場が作られたときの貴重なアルバムである。 大名屋敷から練兵場へ もともとこの青山の地には、青山常盤介忠成の屋敷があった。家康の鷹狩りに随行した忠成は、「馬に乗って一回りした範囲を屋敷地として与えよう」と言われ、馬が疲れて死ぬまで木に糸を結んで駆け回ったのは有名な話である。地名が青山となり、青山通りをはさんで北に家、南に分家が向き合う形は、明治2年(1869年)の版籍奉還まで続いた。屋敷あとの大半は青山墓地となり、残りの草地の一部に明治19年、青山練兵場(*1)が作られた。 「赤坂区の西北隅に在りて、東は青山御所

    kosui
    kosui 2024/02/26