三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛[注 1](寛政6年〈1794年〉5月河原崎座上演の『恋女房染分手綱』より) 東洲斎 写楽(とうしゅうさい しゃらく、とうじゅうさい しゃらく[3][4]、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。 約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と姿を消した謎の絵師として知られる。その出自や経歴については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年(1763年) - 文政3年(1820年))とする説が有力となっている。 来歴[編集] 三代目澤村宗十郎の大岸蔵人(寛政6年5月都座上演の『花菖蒲文禄曽我』より) 画業[編集] 写楽は寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年(1795年)1月にかけての約10か月の期間(寛政6年には閏11月がある)内に、145点余の作品を版行している