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上野千鶴子に関するkotobukuのブックマーク (2)

  • ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記

    前川直哉の『男の絆』について私が書いた一点のアマゾンレビューが時おり話題になるので、いちおう説明しておく。 上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』もそうだが、なるほど、こういうことは一般にはまだ知られていなかったのかと思ったもので、こうした話は、学者(文学研究者、社会学者)の間では、1990年代にさんざん議論されていたことで、上野著にも前川著にも、私を含めそれらの人は、別に新しいものは何も見出さなかったであろう。 特にいずれも、物故したイヴ・コゾフスキー・セジウィックが『男同士の絆』の序文で言ったことをそのまま信奉している。なおセジウィックのこのが、邦訳される前、おそらく日で一番早く紹介したのが、私の『夏目漱石を江戸から読む』(1995)なのだが、まあそれはいい。 セジウィックはその序文で、ホモソーシャルという概念を打ち出している。ただこの概念をセジウィックが作ったというわけで

    ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記
    kotobuku
    kotobuku 2011/08/14
    セジウィックは、考察を進めるにつれて、ホモソーシャルとホモセクシャルの間の区分は曖昧であることに気づいてしまう。そしてまた、ホモセクシャルもまた、時にはホモソーシャル以上にミソジナスである
  • 社会学者 - jun-jun1965の日記

    http://miura.k-server.org/newpage1119.htm 上野千鶴子や宮台真司を槍玉にあげて、社会学を撲滅せよと書いたら、小谷野敦氏からあんなのは社会学者じゃないのだとご批判を受けたけど、いや、この内田隆三をふくめ、ああいうのが社会学者なんだと思う。だいたい、東大や首都大の教授をやってる社会学者なら、そりゃ日の社会学を代表しているわけで、少なくとも世間ではああいうのが社会学だと思っているし、もちろん当人もそう思っているのであって、そうじゃない小谷野氏の意見はあくまで少数意見に過ぎない。そもそも、上野千鶴子は外部からわざわざ東大に呼ばれたわけでしょ? つまり、社会学者としてきわめてまともだと思われているから招聘されたんですよ。それとも東大の社会学科所属および出身の社会学者は全部ニセモノなのだろうか?? えーと事実誤認ですが、三浦先生は『父親であること』(?)を評し

    社会学者 - jun-jun1965の日記
    kotobuku
    kotobuku 2011/07/01
    上野を呼んだ際のポイントは、上野が、本当の権力には逆らわない人だということで、公金費消で問題になった先任教授についてもな~んにも言わないし、東大内部で誰かを槍玉にあげたりしたことはない。「猫猫ブログ」
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