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夏目漱石と小谷野敦に関するkotobukuのブックマーク (1)

  • ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記

    前川直哉の『男の絆』について私が書いた一点のアマゾンレビューが時おり話題になるので、いちおう説明しておく。 上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』もそうだが、なるほど、こういうことは一般にはまだ知られていなかったのかと思ったもので、こうした話は、学者(文学研究者、社会学者)の間では、1990年代にさんざん議論されていたことで、上野著にも前川著にも、私を含めそれらの人は、別に新しいものは何も見出さなかったであろう。 特にいずれも、物故したイヴ・コゾフスキー・セジウィックが『男同士の絆』の序文で言ったことをそのまま信奉している。なおセジウィックのこのが、邦訳される前、おそらく日で一番早く紹介したのが、私の『夏目漱石を江戸から読む』(1995)なのだが、まあそれはいい。 セジウィックはその序文で、ホモソーシャルという概念を打ち出している。ただこの概念をセジウィックが作ったというわけで

    ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記
    kotobuku
    kotobuku 2011/08/14
    セジウィックは、考察を進めるにつれて、ホモソーシャルとホモセクシャルの間の区分は曖昧であることに気づいてしまう。そしてまた、ホモセクシャルもまた、時にはホモソーシャル以上にミソジナスである
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