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  • 恐山あれこれ日記: 僧の立ち位置

    僧の立ち位置 命は大切なものだ、と最初から決まった話ではないでしょう。最初から決まった話なら、それを大声で言いながら、人類始まって以来、こうも互いに殺し合いを続けるはずがありません。そうではなく、誰かが命を大切にするから、それが大切なものになるのでしょう。 このとき、命とは生きていることと、死ぬことを意味します。つまり、命を大切にするとは、生きることと死ぬことを大切にすることなのです。 さて、昨今、臓器移植法という法律が「改正」されて、「脳死」が「人の死」にされ、家族のみの同意で臓器が摘出され、その提供に年齢制限もなくなりました。 私がここで言いたいことは、「脳死」を「人の死」と定めることや、そのほか、法律の内容の是非についてではありません。 しょせん「人の死」の判定なんぞは、「大人」と「子供」の区別と同じで、時と場合によって、必要に応じて適当に判断する以外に方法はなく、だからこそ「法律」

  • 恐山あれこれ日記

    最近人々の耳目を集めていることにアメリカ発の金融危機があります。私は経済をまともに論じられるような見識を持ち合わせないので、大きなことは言えないのですが、一つ、以前から議論の前提として、ここを誤解するとマズいと思っていることがあるので、若干意見を述べてみたいと思います。 現在の世界で最もひろく受け入れられ、それを最善と考える人が多い経済システムこそ、「自由市場経済」でしょう。したがって、「自由」でない市場は、すべからず「自由化」しなければならない、という議論になります。しかし、ここに根的な誤解があります。「自由市場」と称されるシステムは、その原動力は「欲望」であり、むしろ「欲望市場」と言うべきでしょう。 「欲望」と「自由」は、その違いをはっきり自覚しないとき、大きな災難を招きます。「欲望」の正体は「したいことをする」というものです。しかし、これに対して、「自由」とは「なすべきだと信じたこ

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