見付天神裸祭は、毎年盛大に行われていますが、その昔は泣き祭りといって、人身御供の行事が行われていたそうです。 毎年八月の初めになると、どこからともなく、白羽の矢が町家の棟高く突きささっています。矢を立てられた家には、必ず年頃の娘がいましたが、この家を年番といって、そこの娘を生きたまま柩 (白木の箱)に入れて、8月10日の真夜中に見付天神へお供えする「しきたり」(習慣)になっていました。 里人は、今年も泣く泣く年番の娘を白木の柩に入れて、多勢でかつぎあげて、一点の灯火も見えない真っ暗の山道を天神社へ向い、社前に降ろします。あとは、韋駄天走り(とても早く走る)に逃げ帰ります。やがて、天地鳴動(地ひびき)して怪神が現われ、柩をかき破り、娘を眺めて大きな声をあげてこれをもてあそび、遂に食い殺してしまいます。人々は、このような悲しいできごとを毎年繰り返しながら、泣き祭りを続けていたのです。